
Green 一家の家系図
USツアーが始まってSHOW Billが出回り、その全貌が明らかになった。
登場人物の着色でGreen一家の歴史がかなり分かりやすくなった。
全く有り難いことだ。
知れば知るほどGreen一家が身近なものとなった。

Jay Carling Green(曾おじいちゃん)
1895年11月11日アイダホはTreasureで生まれる。
ウエスタン・パシフィック鉄道で制動士として働き始める。1925年に会社を辞める前にはエンジニアに昇進していた。その後1927年に独立してポテトの運搬を主とするGreen運輸会社を設立。
1931年Greendaleに引越し、1963年11月に亡くなった。
Mahalia Cross(曾おばぁちゃん)
1898年6月アイダホはValentineで生まれる。
1923年にJay Carling Greenと結婚するまでの間はヴァレンタイン・ホテルのメイドとして働いていた。
二人の間にジャクソン、アリウス、ジョンの3人の息子を設ける。
彼女は今なおGreendaleで元気に暮らしている。
チェーンスモーカーでスコッチがお気に入りの104歳。
Jackson Jay Green
1923年アイダホはTreasureで生まれる。
18歳で軍隊に入隊し、第二次世界大戦と朝鮮戦争に参加。
1951年には大佐に昇進した。
1956年カリフォルニアのレイクタホに引越すが、1961年にユタで軍内において事故に遭遇し障害者となり、名誉ある除隊をする。
引退後は1963年にレイクタホにてGreenボート会社を設立し、ガーウッドの小型ボートを売ったり、1985年の引退までは木製のレース用ボートーのデザインに取り組んでいた。
彼の先進的な方法と技術は一躍有名になり、スピードボートの船体やモーターとの調和によって高度なパフォーマンスを与えることに成功した。
伝説的な名前は水上木製ボートレース史上に刻まれている。
Sally Tulsa O' Day
1926年アイダホはValentineで生まれる。
当時エーカー内で想像以上のポテトを生産するという競争でのチャンピオンとして知られていたマイクO'DayとBeauty Matersonとの間に出来た娘。
1930年マイクとビューティーは結婚した。
彼女は1945年、Jackson Greenと結婚し、彼らの間にStoneが生まれた。
1956年レイクタホにて交通事故に遭い、命を落とした。
Stone Green
1946年アイダホはTreasure生まれ。
18歳で入隊し、ベトナム戦争に参加し軍曹に昇進を果たした。
1967年にカリフォルニアのGreendaleに引越しをし、長い病床生活の末1976年に亡くなった。
Misty Alder
1946年テキサスはCrow生まれ。
1964年にStone Greenと結婚し、JedとJacobの二人の息子をもうけたが、1976年夫の死後、自らの手で命を絶った。
Jed Green(従兄弟)
1969年カリフォルニアはGreendale生まれ。
母の死後7歳で孤児院に引きとられ、養子縁組でグレーンデールのGiovanniとLenore Randazzoの元で育つことになった。
Jacob Green
1971年Greendale生まれ。
母の死後5歳で孤児院に引きとられ、MarkとJuneCharmichaelに養子縁組で引き取られ、一家は1980年にカリフォルニアはサンディエゴに引っ越した。
1982年カリフォルニアのSan Clementeの海岸沿いで一家揃ってボート事故で水没した。
Capt. John Green(大叔父さん)
1924年アイダホはTreasure生まれ。
US海軍で1950年の朝鮮戦争に参加し、アイゼンハワー大統領から勲章を授かる。
1955年にGreen海運会社を設立する。
Ciela Bleu Oasks
1927年フランスはパリでカリフォルニアのワイン・メーカーであるSylvan Oaksの娘として生まれる。
1040年にカリフォルニアのNapaに引っ越す。
動物や植物と意思を交わすことの出来る不思議な能力を身につけていると知られ渡っており、かつてはNapaのコミュニティーから尊敬と畏敬を受けていた。
彼女はブドウの木に肥料を施すことに強く反対し、そのことはNapaのワイン産業を営む彼女の家族に混乱を巻き起こす結果となる。
不思議な動植物の振る舞いがワインの生産を改造し、これは彼女の力によるものだとされていた。
1965年、彼女はサンフランシスコの植物園を訪れている際に突如として姿を消した。
彼女の人生はこのときから謎に包まれている。
1944年にJhon Greenと結婚し、翌年1945年に離婚している。
彼らとの間に娘であるSky Greenが生まれている。
Sky Bleu Green
1945年カリフォルニアはSan Francisco生まれ。
1963年にハイスクールを卒業後、ハワイ大学で海上生物学を学ぶため、ハワイへ引っ越す。
イルカや鯨と共に魚や哺乳動物とのコミュニケ-ションに力を注ぎ、研究する。
彼女のイルカやクジラ,鮫などを呼び寄せる力は伝説的なものとなった。
1975年に教授のTerra Beach Locustと結婚した。
ハワイのBig Island、ハワイのマウイ島そして記述されることのない大西洋の底辺地点を結ぶ三角地点に接触して研究することに興味を抱いた。
タンクなしで深い海中をもぐることが出来、信じられないほどの長時間維持させることが出来る人だと知られていた。
1999年にTerraと共にハワイへ移り、Terraの方はそこで過去からの古傷の跡を掃滅させるために外皮膚にやさしく細工をするという皮膚の癒しの技術を習得する。
1982年SkyとTerraの間に双子の娘SolaとCielaが生まれた。
彼らは今でもBig Islandで暮らしている。
Arius Jay Green(おじいちゃん)
1928年アイダホはTreasure生まれ。
ウエスタン・パシフィック鉄道で制御士として働いた。
軍隊には視力検査でパスせず入隊はなかった。
株式に投資しミリオン・ドルを儲ける結果となり、ウエスタン・パシフィック鉄道でさらに投資を続け、ついには会社の中での目立った株主の一人になっていた。
40年代50年代を通してその会社の方向、発展に影響を与えた。
彼の誠実で率直な意見と強い統率力は大いに尊敬された。
Arius Green はウエスタン・パシフィックの父の一人として思われていた。
カリフォルニアのSan Franciscoから1961年Greendaleへ引越しをし、1988年に引退する。
Earl Green(お父さん)
1947年カリフォルニアはSan Francisco生まれ。
19歳で入隊し、ベトナム戦争に参加。
帰国後は絵描きとなり、カリフォルニアのGreendaleの住人となる。
Edith Morgan O'Riley(お母さん)
1952年カリフォルニアのレイクダホで精肉業と金融業を営むTom O'Rileyの娘として生まれる。
彼女の母親Claudetteは有名な「PINK LADIES」の創立者として有名で、カリフォルニア周辺の病院で病気で苦しむ身寄りの無い人々のために自宅で療養するための手伝いを今なお続けている。
Edithはレイクダホでは地元のあちこちでフォークソングを歌う人気のある歌手だった。
ダンサーとしても知られ鹿の動きやハミングバードのスピード感などにたとえられ、まさに自然と調和した素晴らしい踊りだった。
彼女は1度だけレコーディングを行い「Don't Fence Me In」はサウスダコタのヒットチャートに食い込み、およそ1年にも渡ってサウスダコタのZeonaのラジオで1位に君臨していた。
1978年にEarl Greenと結婚し、双子の娘SunとLunaを出産した。
Sun Ciela Green
1984年カリフォリニアはGreendaleに生まれる。
聡明な学生でハイスクールではいつもトップクラスに位置していた。
彼女もダンスの達人でアクロバット的な腕の力と高度なバランス感覚で、垂直な壁やロープを使って古いセコイヤのRedWoodの木に簡単に上ったり降りたりしたりすることが出来た。
幼い頃彼女の「呼び寄せ」術はオーストラリア産のシェパード犬を使わずとも牛たちの呼び集めの時間に発揮され、知られるようになり、Greedale一体の地域で広範囲で使われるようになる。
彼女の牛の「飼いならし」の特技や増産の予言はめんどりたちに多くの玉子を生ませ、幼い頃から自然から与えられたギフトとして彼女は評判の娘だった。
10代になると環境や地球について深い関心を示すようになり、Greendaleハイスクールで「Earth Day」と名づけた集会を組織していた。
彼女はチア・リーダーだったが、自慢しすぎることなく友達たちとの関係もうまくやっていた。
Luna Ciela Green
Sun Greenの双子の妹
1984年Greendaleに生まれたが、すぐに原因不明の心臓病によって同年に亡くなった。
同じ時期ワイオミングからGreendaleへ運送されたバッファローの群れが同じような病気で倒れ、同じ年、アラスカのトナカイたちが変死を遂げ、ハワイの海岸では51頭ものクジラが病気で死に、海岸へ打ち上げられている。
この病気に関して他の人間の被害者はLuna以外にないという。
Hill Green
1948年カリフォルニアはSan Franciscoで生まれる。
芸術の才能を持ち合わせた大きな少年だった。
1966年軍隊へ引き抜かれ、ベトナム戦争に参加し、そこで命を絶った。
Sea Green
1950年カリフォルニアはSan Francisco生まれ。
彼女の幼児期の頃から動物や植物との不思議な力は研究者たちの間で知られていた。
10歳の時、家族と共にバケーションの最中、セコイヤの国立森林公園で迷子になり、死んでしまったものだと思われていた。
しかし6週間後に森林救助隊によって、パーフェクトな健康状態で傷一つなしに救出された。
17歳の時には修学旅行で大自然を勉強するためにアラスカへ船旅をする。
彼女は再び迷子になり、二度と見つからなかった。
Close Wanda Thibodeaux(継おばぁちゃん)
1949年ルイジアナはLafayette生まれ、生い立ちは知られていない。
18歳になるまで中西部のネイティブインディアンの部族の中で暮らしていた。
独学でCloseはハーブを用いての治療が大変効果があることを学んだ。
彼女のインディアンの癒しの知識が多くの病で苦しむ人たちに反響し、神から授かった癒し手として知られるようになった。
Arius Jay Greenとは1970年に結婚し、息子のCarlingが生まれている。
Carling SnowBear Green
1971年、Greendaleに生まれる。
1989年に空軍の通信エキスパートとして入隊しイラクへ赴く。
1992年にGreendaleからカリフォルニアのTechnopolisへと移り、情報テクノロジー産業でインターネット会社の成功によってミリオン・ドルを儲けるが市場の下落ですべてを失ってしまう。
現在はアラスカのNomeで中古車のセールスマンとして働いている。