

Northern Ireland

スコットレイルが打ち出した超破格値のチケットがある。
エジンバラからグラスゴー、グラスゴーからAyrに向かって南下したStraner港へ、そしてフェリーでもって北アイルランドはベルファーストへ。何とこの往復価格が£29.00.
今年は前半戦に人生での大散財を終えて、ニッポンへも里帰りし、ニールヤングを追いかけてのホリデイ・ブレイクをしたばかり。
7月の2週間のクリス君のホリデイ。
じぃーっとパンと水で耐え忍ぼうと計画していたのだが、こんな破格値のチケットなんぞを見つけてしまったもんだから二人とも落ち着かない。
じぃっと家で耐え忍んでいても食費がいるのだ。
それならば、旅に出ながらきりつめたホリデイでもええやないか!とのはたまた能天気な決断を下してしまったクリスとhirokoであった。
7月8日
クリス君のすぐ上のアニキAllan君はプレストウィックに住んでいる。
であるからAryshireのプレストウィックまでは何度も訪ねたことがあったが、それ以南は足を運んだことがない。
港のあるStrannarはayrからほんの少しと思っていたら大間違いでAyrからは何と2時間近くかかっている。
小さな街Strannarに到着するとフェリー乗り場までつながっていた。
Stenaフェリーは想像以上にでっかい船で船内は結構豪華な設備を従えていたのに、まず驚いてしまった。
ラウンジ、コーヒーショップ、レストラン、ゲームセンター、売店、シネマ、バーガーキングまで入っている。
2時間あまりをhirokoとクリスはアイスクリームを食べながら、シネマでのんびりしていた。
夕刻のベルファーストに上陸。
北アイルランドは同じ連合王国であるからお国こそ違えども、パスポートはいらない。
丁度イングランドから、スコットランドへ入るようなものだ。
すぐにTAXIでホテルへと直行するが、運転手がやけにフレンドリーでお喋り好きなあんちゃん。
少々疲れていると、こういうフレンドリーすぎるお喋りはちょいとしんどい。
香港映画がお気に入りのようで「僕はマーク・チェン!」などと自己紹介をしながら、頼んでもいないのに、ホテルへの道筋を観光ガイドまでやってくれる。
おまけに知っているだけの日本語を並べ立ててくる。
「こんにちわ!さよなら。ちょっとまってぇ。」
こうなったら、「お上手!お上手!どこで習ったの?」と言わざるを得ない。
車は有名なヨーロッパホテルを通り過ぎる。
この豪華ホテルは過去に大小織り交ぜて何と29回も爆弾の攻撃にされたところである。
豪華な佇まいでそびえ建ってはいるが、そんな過去を持つホテルに宿泊する客なんているんだろうか?と疑いたくなる。
グレート・ヴィクトリア駅の目の前についOPENしたばっかりのDAYS HOTELが聳え立っている。
ここが本日のお宿である。
普通は£69だが、インターネットで£53で押さえたわけだからすんごく得した気分である。
何せ新しいホテルなので何もかもが美しい。
すぐ横の通りはSANDY ROW。
プロテスタントの地域で道路には赤、青、白の三角の小旗がまるで夏のフェスティバルのように張り巡らされ、各民家の玄関先、窓にはこれまたユニオン・ジャックやイングランド旗がゆらめいている。
異様な光景だ。
ここを歩くと、壁にはいろんなペインティングを見つけることが出来る。
ベルファースト出身のミュージシャン、ヴァン・モリソンは彼の作品で数多くのベルファーストの町の通りを挙げているが、ここSandy Rowもその中の一つである。
旗を掲げる民族は日本とて同じである。
だが、国民の祝日と言えどもこれほどの狂喜の沙汰のような旗の数ではない。
その地域だけがどの家もユニオンジャックをヒラヒラさせているのだ、祝日でもないのにである。
hirokoはカメラを持ってはいたが、すぐに思い直してしまった。
こんな通りをアホ面さげた観光客が珍しいからと言ってバチバチ写真を撮るべきものではない。
ひところ前には戦車やガンを手にした軍隊がわんさかいたのが、今では綺麗さっぱりといなくなってはいるが、まだまだこの地下から怒りというか怨念というか、計り知れない悲しみが足元にまで伝わってくる。
ホテルで一休みした後、食事をしようと再び街を歩いたのだが、どうも「観光にやってきましたぁー!」ってなにこやかな顔が作れない。
どこを見回しても廃墟や壊れた建物、剥き出しになったアパート、昔はあったはずのレストランやお店の多くは閉鎖されていて、まるでゴースト・タウンである。
タウンセンターの中心街だけが何とか活気を取り戻しているようではあったが、ちょいと筋を曲がって離れていくともうそこは死んだような町だった。
胃がずっしりどーんと重たい。
同じ「愛」を説くジーザス・クライストからどーしてこんなあほうなプロテスタントとカソリックのリーダーが生まれてしまったのだろうか?
世界中でこういった宗教戦争が行われているが、これほど馬鹿らしく悲しいことは無い。
hirokoはイギリスに住んでいる。
だからプロテスタント?ってなことはない。どちらの味方でもない。それはクリスとて同じことだ。
ゆらゆらと不気味な程の圧倒する数で揺れているユニオンジャック。
イングランドはどこにでも占領してたんだよなぁ。
この島は元々は平和なカトリックの国だったんだから・・・
神妙な面持ちで厳粛にカレーを食べて、神妙な面持ちでホテルへ戻った。
7月9日
DAYS INNの朝食は素晴らしいものだった。
セルフサービスのビュッフェスタイルであるが、クックド・ブレックファースト、つまりフル・ブレックファーストだ。
お腹を朝の早やくから満タンにして、重苦しいベルファーストから脱出だ!
グレート・ヴィクトリア・ステーションはこのホテルのまん前に位置している。
バスのターミナルも同じところ。
何とも便利なロケーション。
国鉄の切符を買うが、仰々しいイングランドやスコットランドの切符とは違って至って簡単シンプルなレシートだった。
目的地はアントリム地方である。
Portrush
アイルランドの人々にとっての夏のシーサイドタウンだ。
ベルファーストから国鉄で北上していくとカロレインに到着する。
ここで、国鉄は2手に分かれる。
西へ行くロンドンデリー、そして東のポートラッシュ。
カロレインからこのポートラッシュはたったの12分ほどで到着する。
街はこじんまりとしながらも夏だけ賑わいを見せる観光地。
PUBあり、遊園地あり、レストランあり、数多くのB&Bやホテル、そして週極めのセルフケイタリング・アパートがいたるところに存在する。
ツアリスト・インフォなども近代的で新しく、様様な情報を与えてくれて、人々もフレンドリーだった。
このツアリスト・インフォのそばにバス・タームなるがあり、ここからは各方面へのバスが出ている。
宿を決めるのならここ、ポートラッシュがお勧めである。
GiantCaseway
アイルランド最北端の海岸線に大きく広がるジャイアント・コーズウェイ。
伝説によるとアイルランドの巨人フィン・マッコールがスコットランドの巨人(こちらは女性)に恋をして、その彼女に会いに行くために作ったと言われている。(巨人の通り道)
見事なまでの六角形の柱が階段のように立ち並んでいる。
とても自然が作り出したとは思えないほどの壮大さである。
6000年前の火山活動で流れ出た溶岩が冷えて3万7千本もの六角柱をこしらえた。
この石の柱はまるで歩道、階段のごとく8Km以上も続いている。
バス停には休憩所やお土産もの屋、レストランなどがあり、資料館ではこの奇妙な石道の歴史についてフイルム上映もなされている。
この一角はかなりな高台で、ここから目的の石道までは結構な距離を歩かねばならない。
あまり足に自信のない人は、ここから石道までの小型バスも出ている。
石自体はお天気の良いときにはいいが、雨の降っているときには注意が必要。
特に黒く変色しているものは滑りやすい。
BushmillsDisterlly
ブッシュミルズはその名のとおりブッシュミルズという小さな村にある。
スコットランドはスペイサイドのダフ・タウンを思わせるような可愛らしい街である.
アイリッシュ・モルトの代表作のこのウィスキー蒸留所は1608年にライセンスを得た蒸留所だ。
一般的にアイルランドのモルトウィスキーは軽くてなめらかなのが特徴である。
というのはこの蒸留所では3度の蒸留を行うからだそうだ。
スコッチ・モルトと異なるところはピートを使わないところにある。ブレンドものではジェイムソンやパワーズ、パディー、タラモア・デユゥーなどが挙げられるが、それからこのブッシュミルズのものとコーク近くにあるミドルトンとのブレンドである。
このブッシュミルズが運営する二階建てのバスが夏季だけに限ってポートラッシュのバス停から出ている。
停留してくれるのは、ダンルース城、ブッシュミルズ蒸留所、そしてジャイアント・コーズウェイ。
ただし、それほど頻繁には走ってはいないので、確認が必要だ。
(特にダンルース城へ行きたい場合は、あらかじめ運転手に告げておかないと素通りされる可能性大である)
終点のジャイアントコーズ・ウェイとブッシュミルズの間には、これも夏季に限ってのみ、観光客用の蒸気機関車も走っている。
駅はちょいと分かりにくいが、ジャイアント・コーズウェイの休憩所の高台から右手方面を見下ろしたところにある。
DunLuceCastle
ポートラッシュからバスに乗り、海岸線を進んでいくと古い廃墟になったお城が大きく広がってくる。
ダンルース城である。
このお城はアバディーンを東に南下したストーン・ヘヴンにあるダン・ノッター城を思わせる。
1630年に建てられたこの優雅な城にまつわる話には尽きない。
元はスコットランドの氏族であるMacDonaldからのMacDonnellsの所有で、オニール一族や英国軍などと激しい戦いを繰り返していた。
さらに古くを遡ると、13世紀Angus Oge MacDonaldはO'Cahanと結婚し、1314年のロバート・ザ・ブルースと共にバノックバーンの戦いに参加している。
1635年、RandalはGeorge Villiersの未亡人であるCathrine Manners(デューク・オブ・バッキンガム)と結婚した。丁度彼が莫大な遺産を相続した後のこと。
彼は旅が好きでいたるところへ旅に出ていた、社交的な婦人はこの広大な城を豪華絢爛に模様替えをするが、彼女は海から聞こえてくる音が嫌いだった。
最も有名な話には1639年の嵐の晩、北に面して建てられていたキッチンが海になだれ落ち、多くの召使が死んでしまったことである。
彼女はそれ以降、岩の上に住むのを嫌い、橋で繋がった本土の方に彼女専用の住居を建てさせた。
ベルファースト出身のロッカー、ガリー・ムーアの「エメラルド・アイランズ」というvideoには彼の凱旋帰国コンサートの模様にあわせて、このアントリム地方、ジャイアントコーズウエイやダンルース城を訪れ、紹介している。
3つの名所を回ったわけだが、夏とは言えどもここはかなりな田舎。
バスの本数も限られている。
ダンルース城のバス停はバス停の格好なんぞは見当たらない。
ただ通っていくバスに手を振って乗せてもらうってな格好だ。
ローカルの人々とて、運転手と住民は顔なじみみたいで、自分の降りたい場所で下ろしてもらっている。
こーいうところがアイルランドだなぁ。
hirokoとクリスはダンルースからテコテコと歩いた。
海岸沿いには様様な形をした岩の芸術が堪能できる。
足は疲れたが、ふっと海を眺めながら歩いていると、おやや?
イルカだぁ!
野生のイルカがあちらこちらで泳いでいるではないかっ!
水族館でもないのに、本物のイルカまで見物できて、なんだかすんごく得した気分だった。
7月10日
ポートラッシュのバスステーションからBally Castle行きのバスに乗る。
昨日のダンルース城、ブッシュミルズ、そしてギャイアントコーズウエイのコースト沿いを通り、バスは内地を通って再び海岸線のBally Castleに到着する。
ここから小さな島Rathlin島へのスコットランドの西海岸を網羅するカレドニアン・マックブレイン社の小型フェリーが出ている。
何しろこいつも小さな船なので、予約が必要である。
この予約もシートがどうのの予約ではなく、定員を確かめるための予約。
この船はえらくボロイ。
甲板にパイプ椅子が並べられているだけだった。
それでも満員状態で出発。
Rathlin Iland
約45分でRathlin島へ到着。
イタリアの地形を形どるブーツを約30度右にまわした逆L字型のこの島はバード・ワッチングする人や都会の喧騒から逃れて、モノを書いたり、絵を描いたりという人たちの憧れの地である。
つまり何ぁーんにもないのである。
バックパッカー用のホステルとマナーハウスというホテルとあと2軒があるのみで、PUBも1件、お店も2件、郵便局が1件。
まさに人のいる無人島のようだ。人口は100人以下。
パフィン、あざらしなどが見られ、様々な珍しい鳥たちが生息している。
ブーツ形のかかとの部分からスコットランドのMull Of Kintyreまではわずか14マイルしか離れていない。
この島の伝説として残っている数少ない話としては、1306年にロバート・ザ・ブルースがエドワード1世率いるイングランド軍との戦いでこのRathlin島へ見を隠した。
この場所はブルースの洞窟として残されている。
ここでブルースは蜘蛛の動きを細かく観察していた。
蜘蛛が巣を張り巡らせ、敵を首尾よく捕まえる様をここでイメージが作られ、スコットランドへ帰国した後、実践し、1314年イングランド軍を打ち破りスコットランドの王となったと言われている。
もう一つはあのヴァージンレコードでお馴染みのリチャード・ブロンソンがご自慢の気球での初めての大西洋横断旅の道中のことだった。
1987年の7月2日アメリカはMaineを出発した気球は激しいジェットストリームに遭遇し、旅は難航を極めた。
結局気球はこの島のBull Pointの北東数マイルの海上に着水。
島の人々が一丸となって、彼を救出し病院へと運んだのである。
彼はその後マナーハウスに£25,000を寄付しているといった実話も残されている。
7月11日
Londonderry
ロンドンデリーにもやはりプロテスタント居住区とカトリックの居住区がしっかりと区別されていた。
旅の数日前に爆弾騒ぎのあったところなので、少々おっかなかったが、二人は意を決してロンドンデリーへと向かった。
地元の人々はここを「ロンドン・デリー」とは呼ばずにただ「デリー」と呼んでいるが、そもそも17世紀にロンドンの商人たちが殖民したためにロンドンデリーと呼ばれることになった。
だが、現在でも根強いプロテスタント信者たちはロンドンデリーと呼んでいるそうだ。
この街にもボグサイドを中心にフリー・デリーと呼ばれるカトリック居住区が出来ている。
城壁に囲まれた街の中心部はプロテスタントだ。
有名な「血の日曜日」事件は1972年1月30日、アイルランド公民権協会のデモ行進を阻止するイングランド軍が民間人を13人射殺するという事件が起きた。
このボグサイドの入り口には記念碑が建てられ、近くのカトリックPUBでは当時の悲惨な写真が壁一杯に張られ、今なお根強い怒りを示しているかのようだった。
この地区の住宅の壁には当時の様子のペイントがまるで芸術のように描かれているが、決して物見見物っぽい気分にはなれない。
ジョン・レノンは「Bloody Sunday」などでこの様子を抗議した歌を歌っている。
ここからは多くの移民者がスコットランドやアメリカへ自由を求めて出航している。
中でも多くはアメリカのニューイングランド、ニューハンプシャー州に流れ着き、Derryという地名を残すこととなった。
町全体はこじんまりとした城壁に巡らされた美しい街である。
だがしかし、その歴史を知るたびにやはり暗い気分にならざるを得ない。
城壁内の歴史博物館は近代的で、北アイルランドの歴史を充分理解できるように紹介している。
Belfast
ロンドンデリーからベルファーストへ戻った。
クリスとhirokoはこともあろうにシャンクヒル・ロードへと足を運んでしまった。
ベルファーストの中でもここシャンクヒル・ロードは根強いプロテスタント地域、これに相反するフォールス・ロードはカトリック地区。
この2つの地区はことあるごとに抗争を繰り返していて、TVでお馴染みの通りである。
丁度このとき、なにやら野外コンサートの前夜といういでたちで、若者は広場にボチボチと集まっていた。
ものの見事なまでのユニオンジャック。
一軒たりとて旗を立てていないところは無い。
その上にまるでサマー・フェスティバルを思わせるような三角の小旗(これも赤、青、白)が軒から軒へ繋がれひらひらとはためいている。
さらに驚くことに道路脇のコンクリートまで赤、青、白とペイントされているではないか。
もう歩いているのが恐ろしくなる。
子供たちが集まって何かを作っている。やぐらをこしらえようとしているみたいで、各自が小さな木を持っているのだが、こいつをまたまたペイントしているのだ。
野外広場に建てられているやぐらには勿論ユニオンジャックがひらめいているが、その横にアイリッシュ・フラッグが焼かれるような擬似(実際には焼かれてはいないのだが・・・・)同じことではないか!
来てはいけないところに足を踏み入れてしまった。
ここは一刻も早くこの道路から脱出しなければ・・・・
我々は平和に慣れ過ぎているのかもしれない・・・・
赤、青、白にペイントしている無実の顔の子供たち。
君たちは今もっともっとやらなければならないことがあるんではないかえ?
親から子へ、子から孫へ、孫から曾孫へ・・・・彼らは伝えていくんだろうか?こんな無意味なことを・・・
旗の圧迫感と道路から湧き上がって来そうな怒り・・・・殆ど気分が悪くて吐きそうになってしまった。
旗に圧迫されることの無いスコットランドへ戻り、自由の有り難さが身にしみた。
まぁグラスゴーではこの延長上にフットボールも荷担して「レンジャーズ」プロテスタントと「セルティック」カトリックとの間でいつもいざこざを起こしている。
世界にはまだまだこんなアホウな宗教戦争が存在する。
その点日本って国はこと宗教に関しては平和ボケそのものである。
プロテスタントとカトリックがいがみ合っていざこざを起こしたというニュースは聞かないし、浄土宗が浄土真宗に向かって発砲したなんて話も聞かない。
結婚式はキリスト教で葬式は仏教。
いやはやこんな北アイルランドの人々が知ったら、大憤慨ものである。
だが、日本で宗教を信仰する人たちに是非ともこの地を訪れてほしいものである。
今回の旅は重苦しいものだった。
次回はものすごく軽くいきたいもんである。
北アイルランド
日本人にとってシャムロック、ギネス、ジェイムス・ジョイス、フレンドリーな人々という印象の強いアイルランド、だがそこは政治的に2つに分かれてしまった悲しい北アイルランドもあることを忘れがちである。
ただただニュースから時折流れてくるIRA(アイルランド開放軍)のテロ事件でしか、北アイルランドの情報は流れない。
UKに移り住むまではhirokoにとっての北アイルランドは遥か遠くの何か危険な国という印象でしかなかった。
映画「マイケル・コリンス」主演:リーアムニーソンや「The name of the father」主演:ダニエル・ディー・ルイスの映画を見ても今ひとつピンとこなかった。
だがしかし、UKに移り住んでからは毎日のようにBBCからお隣の北アイルランドの爆弾事件や市民紛争のゴタゴタが嫌という程流れてくる。
北アイルランドの各地で繰り広げられる宗教間のいざこざはオレンジ・ウォーク(何百年にも渡ってプロイテスタント教徒が行っている行進)では、その行進ルートにカトリック教徒居住地が含まれているために居住区の人々とプロテスタント教徒との間でいつも壮絶な戦いがなされている。
そうかと思えばまたまた爆弾か!である。
これは毎度毎度ニュースを見ているわけであるから、嫌でもこの話題については詳しくなっていく。
アイルランドの守護聖人聖パトリックが5世紀に全島をカトリックに改宗させ、スコットランド、そしてフランス、ドイツ、そしてイタリアまで伝道者が赴き、修道院作ってキリスト教を広めている。
エリザベス女王の時代、イギリス軍の進撃でアイルランド軍が敗れ、植民地化され、特に抵抗の強かったアルスター地方にプロテスタント入植者を巨大に送り込んだ結果、アルスター地方はプロテスタントの地方へと変わってしまう。
それでもプロテスタントもカトリック教徒も仲良く暮らしていた。
ところが1921年政治的にアイルランドは北と南に分断され、南は独立国としてのアイルランド共和国、そしてイギリス領としての北アイルランドと、別々の国になってしまった。
以来70年以上に渡りプロテスタントは現状維持へ、カトリックは南との統一を目指し、抗争が繰り返されていた。