お里帰り2000

☆プロローグ

☆ただいまぁ!
☆飛鳥サイクリング三昧
☆おばちゃん、どいてんか!
☆フェスティバル・ゲート
☆ベロとベジタリアン
☆京都の往年のミュージシャン達
☆地震だぁ!
☆大阪オフ会2000
☆しのぶちゃん
☆親指族と白いレッグワーマー

☆エピローグ
 
 



番外編

老人と子供のポルカ

クリス君 in 名古屋
 
 



 
プロローグ

hirokoとクリス君は3週間という大型休暇を申請し、承諾された。
日本へ帰る里帰り。

UKに住む人間には「里帰りチケット」という航空券が出回っている。
前回はこちらの旅行会社で購入したが、どんなもんやろ?ということで、ロンドンにある日系の旅行会社へ問い合わせた。
これには理由があって、こちらに住むものが身内や友達を呼び寄せる「呼び寄せチケット」という航空券だって購入できるのである。
航空券の高い日本から購入するよりはるかに安値でGET出きるというわけだ。
航空券の安い時期を選びhirokoとクリス君は10月にこの里帰りを実行させようと計画をたてた。
今度はアバディーンから直接アムステルダムへ飛び、関西へ。
KLMに決定した。

今回も2週間の里帰り。
そしてこちらへ戻ってくる時に「親父」と「甥」を連れて帰ってきて、彼らに1週間滞在してもらおうって何とも大胆な計画も追加した。つまり里帰りチケットと呼び寄せチケットを購入した。

何せ70を越した老人と中学に入ったばかりのぴかぴかの英語1年生である。
こちらで呼び寄せチケットを購入して送ってやったところで、自力で来れるはずはない。
親父は中国旅行には1度連れていったことがあるが、ヨーロッパは初めてで、しかも12時間あまりのフライトを耐えられるかどうか心配だ。
甥っこだって海外旅行は産まれてはじめての体験である。
老人と子供のポルカ」でパパパヤァー・ヤメテケレ・ヤメテケレ・ゲバゲバだ。
であるから、私達がこちらへ帰るときに一緒だったら英語の問題もないし、長いフライトだって安心できるって訳だ。
楽しみは倍増し、その分ストレスも倍増するかもしれないが、親孝行の1つのつもりで計画を進めていた。
この2人のスコットランド体験は見物である。

さて、今年のスコットランド・・・アバディーンの夏は最悪だった。
太陽が見えたのはほんの数日で雨ばっかり。
気温は22度になったのが数えるほどで、あとは15度〜18度あたりを行ったりきたり。
長ぁーい冬を耐え忍び、ようやく迎えた夏がこうでは全く腹立たしいにもほどがある。
まわりではこぞってサンシャインを求めにスペインやトルコやギリシャへHOLIDAYへと繰り出して行く仲間達を羨望のまなこで見送っていた。
へん!夏ではなくたって日本は10月でもサンシャインあるんだぞぉー!ってなもんで、そうだ!いい考えがある!
随分大昔に格安パッケージで10月に沖縄旅行をしたことが急に思い出されたのだ。
個人で行くとバカ高いがパッケージツアーなら航空券・宿泊・観光・さらには食事までついて¥29,800という信じられないツアーをしたことがある。
あそこは10月でも夏だった。
前回は北の北海道だったのだ、今回は南の沖縄ってぇーのがいい。
北海道で熊食って、沖縄でハブを食う。
なかなかイカシてるではないか。
クリス君も大賛成!
ビーチはくらげで一杯かもしれないが、泳ぐのが目的ではないし、とにかくリラックスする必要がある。
とにかくどーでもいいから半そで1枚になって歩きたい。夏のなかったアバディーンに住むhirokoの切なる願いである。

何せこの海外旅行好きな二人が昨年9月のノルウェーを最後に1歩もUKを出ていないのである。
相当なうっプンがたまっている。
ここはちょいと奮発して「沖縄ブレイク」も計画の中に追加した。
大阪の友達や両親に格安パッケージのパンフをFAXしてもらったり、郵送してもらったりで品定めをし、予約にこぎつけた。

大阪に戻ったら、勿論やることは山ほどある。
懐かしい旧友や新しい友達との飲み会。
活字の飢えているhirokoはとにかく本を一杯買いたいし、服だって欲しい、PC用品、スフトウェア、CDライターも欲しい。
欲しいものだらけだ。
周りの子供を持つ友達からやいのやいのと、ポケモン・デジモン・グッズを頼まれている。
クリス君はもっぱらゲームボーイのゲームやプレステのゲームに音楽のCD。
貴重な日本食料品・・もっぱらおかきやおせんべいも買いこまねばなるまい。
その合間を縫って奈良の飛鳥でサイクリング三昧して遺跡を巡る予定も立てている。

ところが約2年半前に里帰りした時にはレートが£1.00が230円だったのに対し今回は9月に入ってから円はどんどん強くなっていく。
hirokoとクリスの顔が見る見る暗くなってきた。
160円から155円、150円・・・どんどん下がって行く・・・けぇー!やめてぇー!
「うちら今回はどえらく貧乏やなぁ。」
大阪の妹にTELをすると、「日本へ帰ったら飲み食いすんな!っちゅうこっちゃ!」
せっかくのホリデイやというのに・・・・
「今から予定を変更して、スペインへ3週間!これなら超贅沢三昧できるんやけどなぁ・・・・」などと、日本へ帰るテンションが少々下がってしまった。
貧乏学生の切り詰めた海外旅行やあるまいし、ええ大人がせっかくのホリデイに貧乏つうのも辛いよなァ・・・トホホである。

さて、親父と甥っこが来るとなったら部屋も大掃除である。
大阪の10月からアバディーンの10月は北極と赤道ほどの差があるかもしれない。
電気毛布やエクストラの毛布、羽根布団も買い、なんとか部屋も小奇麗にして彼らの到着を待つ準備を整える。
滞在中にエジンバラへと行く予定なのでBRとホテルもブッキングする。

万事が整いつつある。
さぁ、あと3日でニッポンだぁ!
 



ただいまぁ!

10月1日の朝はいつもながらの変わり映えのしない寒いアバディーンだった。

オバシャツにブラウス、アンサンブルにブレザーという4段重ね着。
まぁ、これが普通のアバディーンの10月の装いである。
タクシーに乗り込んでアバディーン空港へと向かう。
あーあ、ついに待望の里帰りかぁ。しばし寒さともお別れでい!と二人とも浮き足立ってディパーチャー・ゲイトへと駒を進めるのだった。
KLMUK2068便は予定時間を20分遅れて、静かなアバディーンの町を飛び立った。
思い起こせば最後に飛行機に乗ったのは昨年の6月のスペイン旅行以来である。
久しぶりの飛行機の匂い、そして緊張感。
ああ、海外旅行だぁ!とご満悦。

アムステルダムのスキポール空港へは予定通りの時間にキャッチアップ出来た。
ヨーロッパ旅行への玄関口でもあるので、この空港はとてつもなく広い。
ゲイトDに横づけされたUK2068便だったが、このゲートDでも殆ど端っこに降り立つクリスとhirokoは急げ急げの大移動。
大阪kansai国際空港へのゲイトはFである。
ゲイトD46あたりからこのDエリアを離れるにも相当な距離である。
真っ青に青ざめながら動く歩道を走るトランスファーに急ぐおじさんやおばさんに混じって、二人も足早にゲートFへと進んで行った。
せっかくの免税店もトランスファー時間が1時間では立ち寄ってる暇なんぞありゃしない。
ようやくゲートFのエリアに辿りつくとそこはもう日本人村だった。
日本からの団体旅行のお戻り様ご一行がまるで季節はずれのサンタクロースのようなおおきな荷物をぶら下げて、一丸となってたむろしていた。
その光景は色にたとえるならば「灰色」である。
おじさん、おばさん、おじいちゃん、おばぁちゃんが、やたらと多い。
エジンバラでも数多くの日本人に遭遇できるが、これほどの数のまとまった日本人を目の前にするとやっぱり恐ろしい気分にもなってしまう。変な感じである。
アバディーンには殆ど日本人はいない。毎日白人ばっかを目にしていると自分が日本人であったことを忘れてしまっているのである。
日本人旅行者は比較的静かだと言われてはいるが、何の何の!
おばちゃんパワーは恐ろしい。
特にクリスとhirokoが乗り込んだ飛行機は大阪行きの便なのである。
大阪のおばはんは、うるさくて煩わしい。
座席が窓側と真中に追い詰められた二人の横におばちゃんがどっかと腰を下ろした。
通路を挟んではたまおばちゃん軍団である。
前にも後ろにもおばちゃん軍団が陣取った。
クリスと二人で顔を見合わせ、恐怖の11時間のフライトの安否と不幸を目で確かめ合ってしまった。
彼女達はきっとヨーロッパどっきり1週間周遊とかなんやらのツアー客で、相当ハードなスケジュールだったことだろうという予想に反して、信じられないほど元気である。
パワーが有り余っているのである。
このパワーを少しでも分けていただきたいものだ。
座席につくと、早々におばちゃん軍団はお喋りが始まってしまう。
べちゃくちゃべちゃくちゃとよう喋る。
その口にガムテープを張りつけてやりたい心境に刈られる。
お喋りが一段落つくと、今度は誰かが「おせんべい」の袋を開ける。
ばりばり・バリボリ!ぐちゃぐちゃ!バリバリ!と、よう食べる。
全く、この種族は喋っているか食べているかのどちらかである。
ふと、うちの母をこの軍団に交えた光景を浮かべてみる。
しっくりと違和感なくはまってしまうのに、はっとしながら、「あの母は海外旅行には出さぬほうがいいなぁ」と苦笑した。

おせんべいとおしゃべりの不快なノイズの中、それでも何とかコックリコックリを繰り返し、ようやくニッポン上空に入ってきた。
ランディングもスムーズに懐かしの大阪関西国際空港に着陸した。
入国審査と税関もスムーズに流れ、預け入れていた荷物も無事にターンテーブルにのっかっていた。
むむむぃーっと暑さがオバンシャツに張りつき、汗が滴り落ちる。
何だ?何だぁ?10月なんだろ?
何なんだ?この暑さは?
ウールのブレザー姿が実にうっとおしい。
むむむぃー。これが大阪の湿気を含む暑さであったことを、夏のなかったアバドニアンはすっかり忘れていた。、

自動販売機で早速懐かしの缶コーヒーで喉を潤し、両親の住む南港へとリムジンバスに乗り込んだ。
湾岸線を走るバスの中から見える光景はほとんど変わってはいない。
相変わらず空気の汚いよどんだ空だ。

お昼を前に玄関のブザーを押した。

「ただいまぁ!」
出迎えてくれた両親は、ひときわ小さく見えて、年をとっていた。
これをみるのは本当に辛い気分がするが、元気そうなので、ひとまず安心。

「お帰り!疲れたやろ?ほら、ビールビール!」
矢継ぎ早にビールが注がれる。

「暑い!何やねん?この暑さは!」とhirokoとクリスは重たく分厚い服装から、短パンとタンクトップに着替え、クーラーの前から離れられずにいた。
「涼しくなった方やねんで!」と大きな足の母は笑う。

「言うとくけど、お父さん、カラオケは行かへんで!」とhirokoは先制攻撃でもって釘をさすのだった。
疲れと酔いと時差ぼけで、2年半ブリの報告もそこそこに二人は大爆睡に突入した。

「ただいまぁ!日本へ帰ってきました!」
 


飛鳥サイクリング三昧

第2日目、クリス君とhirokoは2泊3日で、奈良は橿原神宮へと旅立った。
ここは大阪っ子のhirokoが中学校・高校時代を過ごしたところである。
遥か大昔のことである。
その頃には観光化されてなんぞいなかったので、学校の友達と自転車でいろいろと飛鳥を巡ったものだ。
ところが高松塚古墳の発掘により、大いに注目を浴び、あれよあれよというまに、この橿原神宮から飛鳥にかけての観光化が進んで行ったということになる。
もうその頃にはhirokoはこの地を後にしていた。

さて、飛鳥を選んだことには訳がある。
1つは、スコットランドにやってきて、私達の新婚旅行はオークニー諸島だった。
このオークニーには数多くの古代の遺跡や遺産が点在していた。
私達が日本で古墳と呼んでいる同じものがこのスコットランドのオークニーで目の当たりにして、クリス君が興味を示したことにhirokoは「いつかクリスを飛鳥に連れていってやろう!」と心に決めていた。
西洋と東洋とお国は違っても、古代人は同じようなことをやっているのだ。
とっても興味深いところだろうと・・・・

もう1つは、懐かしの自分が住んでいた町をクリス君に見てもらいたかったことと、懐かしい旧友に再会することだ。

近鉄の阿部野橋から特急電車に乗りこんでおおよそ40分ほどで、橿原神宮の駅に到着した。
昔の面影がたくさん残っていたが、駅が美しくなり様子がゴロリと変わってはいるものの、ここは神宮があり飛鳥がありで、近代化を推進することに規制がかかっているとのことだ。
今から思えば、大阪育ちのhirokoにとって、初めてこの地へ引越ししてきた当時、何てド田舎に追いやられたのだろう。と、えらく消沈したのを覚えている。
だがしかし、中学・高校と面白おかしい友達にめぐり合えて、バンドを組んだりしてそれはそれで楽しい学生時代を過ごした思い出多きところである。
クリス君の目にも、大都会からこんな長閑な閑散とした田舎都市に下りたって、目をぱちくりさせながら周りを見渡していた。

ホテルに荷物を預け、二人は飛鳥へと直行してみた。
飛鳥の駅前には「飛鳥巡り」のサイクリング・貸し自転車場が設置されていた。
二人は地元の老人会が運営していると言うおじいちゃん達がたむろしている貸し自転車屋さんで2台の自転車にまたがった。
さて、hirokoの記憶もかなり大昔にさかのぼる訳で、二人とも方向感覚はドえらく乏しい者同士のどうなることやらサイクリング出発となった。

目指すは高松塚古墳と石舞台、そして亀石である。
さて、クリス君とhirokoと風貌から見れば、hirokoは断然にアウトドアー派で、クリス君がインドア派タイプだと指摘される。
ところがこれが大間違い。
確かにhirokoは高校1年までは体育会系だった。
小学校の通知簿は体育が5であとは2か3の殆ど落第生。
何しに学校へ行ってんの?と聞かれたら「給食」と「体育」をしに行っていると答えが返ってきた。
当時はソフトボールのピッチャーだったり、水泳選手として地区大会に優勝するなど「体育」だけはずば抜けていたガキンチョ時代を過ごし、中学で卓球とバレーに熱中していたが、県下1を誇る高校のバレー部に入り、2年に上がった時のニューメンバー入りを果たすことが出来ず、大学進学と重なって、hirokoは体育会系から足を洗い、ロック音楽少女へと変身を遂げたのだった。
それ以降、スポーツというスポーツには触れ合うことがなく現在にいたっている。

それに反してクリス君は見るからに学者タイプである。
考えが深く慎重派。
読書を好み、映画や音楽を好む、インドア派に必ずみられてしまう。
最も上記に関してはかなりの知識を備え持っているが、風貌に似合わずなかなかのアウトドア派なのである。
学校時代はフットボールの選手で地区大会で活躍し、地方紙にも大きく写真が載せれ、近距離走もずば抜けており、大人になってからもいろんなスポーツを楽しんできた。
暇を見ては、山登りやハイキングに興味を示す。
あのエジンバラ城の断崖絶壁をクライミングしたこともあるとてつもなくアブナイ男でもある。
サイクリングでハリスやルイス島やスカイ島を1周するなどというパワーがヒョロヒョロの彼のどこから涌いて出てくるのか、夫婦をやっていても未だに見当もつかないほどだ。

そんな二人がサイクリングだ。
時計を見るともう2時半である。
貸し自転車屋の返還時間は午後5時だと言う。
あと2時間半ねぇ。まぁ、今日は高松塚と石舞台と亀石だけで充分。2時間半あれば十分やね。などと、のんびりペダルをこいでいると、クリス君の自転車は、ノロノロ運転をするhirokoを大きく突き放して自分のペースでぐいぐいと漕ぎ出したのだった。

おい!またかよぉー!全くしゃーねぇーなぁ。
このおじさん、日本へ来たら人が変わってまうぞぉ。
「おーい!hiroko!急がないと5時の返還までに回れないぞぉー!」と、遥か前方で叫んでいる。
「そんなに急がんでもええやろが!ゆっくりしようぜ。ゆっくりと!」
2年半前にも同じ現象を体験している。
このおじさんはほんまは「日本人」とちゃうかいな?
彼にとってはたまのHOLIDAYのニッポンであるからして、出きる限りいろんなところを回りたいようである。
団体観光ツアーではあるまいし、何でそう急ぐ必要があるんや?
勘弁して欲しいもんである。

彼はぐんぐんとペダルをこいで地図を広げながら、ナビゲーターの役目を果たしていた。
どっちが連れてきたのかわかんない。
 
 

四方を畝傍山、耳成山、香久山の3つの大和三山に囲まれた風光明媚な丘陵の里である飛鳥村。
推古天皇時代の6世紀、7世紀に渡り天皇の宮が営まれ、仏教が広まった日本の原点とも言える古代の中心地である。
渡来人がとくに居住したと言われ、周辺には天武、持統、欽明、文武天皇などの各皇陵や古墳などが築かれている。
この地には古墳を始め、風変わりで謎めいた石造物、宮殿跡、などが点在している。

せっせと坂道をヒィーフー言いながら二人はペダルをこいで、やっとのこと高松塚古墳に辿りついた。
この古墳で一躍飛鳥村ブームとなったと言っても過言ではあるまい。
昭和47年に発見されたこの古墳内の壁面には古代の墓に見られる美しい壁画が残されている。
国宝に指定された跡、保存上一切公開されずに至っている。
しかし、これほどの壁画古墳の石槨内部を模型と壁画の忠実な模写・模造を展示するために高松塚壁画館なるものが誕生したということだ。
館内に入ると、極彩色の人物、四神、日、月、星宿などの壁画や副葬品の数々が鑑賞できた。
何でもこの高松塚は江戸時代の頃、「文武天皇陵」ではないか?と伝承されていたとの記録が残っているそうだ。
男子群像、女子群像などを眺めていると、その規模こそ違うが、エジプトのルクソールの王家の谷で数多くの古代の王達の墓を訪れて感動したことが蘇ってくる。
時代とお国は違っても、古代の勢力者達はその死後、どれだけの勢力があったかと未来のものに知らせる為に、こういったメッセージを残しているところはまったく同じである。

飛鳥村は観光化が進んだとは言えどもまだまだ長閑な田舎村として、二人に安らぎを与えてくれる。
こうした古代の村の中にたたずんでいると、ふと都会の雑踏がまるで異国の世界のように思えてくる。
連れてきて正解だった。
特にクリス君は感動したようだった。

二人の自転車は石舞台へと矛先を向けた。サイクリングマップを見ながらあっちでもない、こっちじゃねーか?と言いながら、横穴式石室を持つ方形墳である石舞台へと到着して驚いた。
遥か昔にはこの周りには何ぁーんにもなかったが、今では茶店や土産物屋なんかが出来ていて、駐車場まで備わっている。
昔は入場料なんてものはなかったし、よく自転車で友達とお弁当を持ってやってきて、この石舞台の石の上に上ってお弁当を食べたもんだが・・・・
しっかり遊歩道もこしらえられており、入場料もきっちりとっている。こいつを訪れていた時は子供だったわけであるから、この石舞台の石が当時はとてつもなく巨大に見えた。
だが、(勿論今でも巨大なことには変わりない)現在の目から見たとき、「はぁ?こんなもんやったんかいな?」と年輪をしっかりと感じてしまった。

さて、この石舞台、築造は7世紀始め頃と推測されており、被葬者は不明だが、6世紀後半に政権を握っていた蘇我馬子ではないかと言われている。
花崗岩で作られたこの墓の石の重さは北側で64トン、南側で77トン、総重量は2,300トンという大規模なもの。
花崗岩の産地からやってきたアバドニアンには、妙に親近感を覚える石である。
どうしてこいつが「石舞台」という名がついたのかというと、何でも、キツネが女性に化けてこの石の上で舞を舞ったという話やこの地にやってきた旅芸人が舞台がなかったので仕方なくこの石の上で芝居を演じたという伝えもあるそうだ。
現在ではこの石の上に上がることは禁止され、ついでのお弁当も広げることも出来ないとのことだ。

時計を見るともう4時20分。
そろそろ、戻り道だね。と二人の自転車は飛鳥駅方面に向かいはじめ、その途中で「亀石」に寄ろうとペダルをこぐ足に力を入れた。
「亀石」は笑っていた。
昔からこうやってたんぼの真中で笑っている。
亀というかカエルというか、人を食ったような顔をしている。
何の為にこんな巨石がここに置かれたか?
そうだ、アバディーンの周辺にも訳のわからない石造物が点在しているが・・・・
こいつは飛鳥京の西の隅を示す標石ということらしいが、何故に笑った亀でなければならんかったのか?
それは大昔、この変一体は湖で、戦争を起こしてこの湖に住んでいた亀がたくさん死んでいった。
その亀が可哀相だったので、亀を偲んで建てられたそうである。
こいつの頭が西を向くと太古の湖沼に天変地異が怒ると言い伝えられているが・・・・こいつの頭が動くなんてミステリーがあったら、さぞかし面白いだろうなぁ。
「ああ、亀の頭が、動きました!飛鳥から中継です!大変なことが起こります!」なぁーんてね。
アバディーン周辺にも謎の石造物があるが、こーんなユニークな亀石なんぞはお目にはかかれない。
クリス君は興味深げに亀にすりよっていた。

二人は迷子にもならず、無事に飛鳥駅に返却時間ギリギリに戻ってくることが出来た。
翌日はhirokoは旧友と会う予定なので、クリス君は一人でもう1度、まだまだ巡っていない個所を自分で回りたいと言い出した。

翌日の彼は、一人で貸し自転車屋を訪れ、なれないカタコト日本語で「ジテンシャ・カシテ・クダサイ!」とチャレンジを果たした。
出発10分後、彼の自転車から車輪が外れた。
おいおい!でもって、そいつを引張って歩こうにも結局車輪がひっかかって動かない。
仕方なくクリス君は、そいつをかついでカンカン照りの太陽のもとテクテク歩いて、貸し自転車屋に戻って一声。
「タスケテェー!」を叫んだそうだ。
自転車屋のおじいちゃんは、大きく頭を下げて、別の自転車を与えてくれ、真っ赤に日焼けしたカタコト・ガイジンは、はたまた飛鳥の村へと太古の歴史を求めて消えていった。
 
 


おばちゃん、どいてんか!
 

飛鳥観光の翌日は、クリス君は一人で再び飛鳥の他の遺跡を巡るんだと、張りきって出掛けて行った。
hirokoの方は高校時代に組んでいたバンド「角砂糖」との思いっきり久しぶりの再会に胸を躍らせていた。
高校時代のバンドとは言えど、この仲良しグループは中学時代の同級生だ。

マネージャーであったyukariとは前回の里帰りで再会を果たしたが、あとのメンバーであるおっかぁとは6〜7年ぶり、mikaに関しては15年近くのブランクがあった。
mikaとは音楽のことで1番気が合った仲間であった。
中学時代にこの女とつるんでビートルズの4本立ての映画を朝1番から最終まで酔いしれたり、大阪のデパートでビートルズ・フェアーがあるといってはいつも出掛けていた。
いろんなレコードを交換し合って情報を集めたり、そうこうしているうちに、おっかぁがギターを買い、mikaとhirokoが後から続いてギターを購入し、3本ギターの女3人のハーモニーバンド「角砂糖」が結成された。
3人はがむしゃらにギターを練習し、テクだけは男の子たちに負けないくらいの技術を身につけたのだが、箸が転んでも可笑しい学生時代、真剣に1曲をマスターするにも必ず脱線する。
脱線するとhirokoとmikaのギャグが始まりエスカレートして行き、終いには「かしまし娘」のコミックバンドと化していた。
「おならの歌」とか「橿原のおばはんの歌」とか「便秘の歌」とかアホみたいなギャグソングを作っては自分たちだけでウケて完璧に自分たちだけの世界に酔いしれていた。
お互いに進路が分かれたあともhirokoの住んでいた京都の下宿へ集まり、ギャグ・バンドから一気に真剣なバンドとしてオリジナル主体の「角砂糖」の練習は続行された。
horokoにとっては、大学でROCKバンドやセッションバンドに参加しながらも、この角砂糖だけは別格だった。
クラブの先輩達にアレンジをしてもらたり、アドバイスを受けたりしながら、バンドとしての名はある程度の広まりを見せていた。

当時はプロを目指していろんなオーディションが各地で行われていた。
角砂糖もデモ・テープを作ってはいろんなオーディションにトライした。
京都音楽祭の最終審査の1歩手前まで進んだり、ヤマハのポプコンでは奈良代表になって大阪で開かれる関西大会までの審査というのが最も輝かしい軌跡であった。
ここまでが角砂糖の限界だった。

女のバンドは長くは続かない。
おっかぁが結婚を控え、あとに残されたmikaとhirokoでは角砂糖のウリであったハーモニーに限界があった。
就職が決まり、そのうちにうやむやになって自然消滅。
おっかぁの結婚式で3人でギターを爪弾いたのが最後のステージだった。

そんなアクティブな青春時代をこの角砂糖+マネージャーとで過ごしてきて、長ぁーいそれぞれの人生そして年月を越えて、ようやく今回の4人だけの同窓会が決まったのである。

ホテルにTELが入り、mikaだけが1時間早く現れるというので、ロビーでクリスと共に彼女を待っていた。
昔「乗らずのサーファー」(波に乗ったことがない格好だけのサーファー)だったmikaがだんごを携え、現れた。
彼女のトレードマークのたれ目はそのままだった。
現在3人の子持ちの彼女もようやく子供の手が離れ、こうやって自分の時間が作れるんだと、全く昔のmikaと変わっていなかった。
「イエモン」(イエローモンキー)がええねん。格好ええねん。これプレゼント!と言いながら、イエローモンキーの新しいCDをプレゼントしてくれた。
驚きである。
彼女は昔は結構メロウな曲がお好みでウエストコースト・サウンドに取りつかれて、hirokoが鳴らす、ガンガンのヘビメタやハードロックを「あぁーうるさい!うるさい!」と耳をふさいでいた女であったのに、「今バリバリのロックがええねん、何かお勧めあったら紹介して!」ときたではないか。
彼女はどうやら第二の青春時代に入ったようだ。
現在はアクティブにエレクトーンをひいたり、曲を作ってCDを出したり、ナンやらボードをやりに海に出掛け、今度こそほんまにサーフィンしているようだ。
「うるさいやつ?まさせななさい!」とhirokoは驚きながらも、mikaのパワーが嬉しかった。

同窓会なんかでもそうであるように、二人で話していると長ぁーい年月があっと言う間にふさがって行く。
昔の友達っていいもんだ。
いちいち自分を説明しなくて済むからだ。

しばらくたっておっかぁ、とyukariが現れた。
ええのか悪いのか、「いやぁ!全然変わってへんやん!」が第一声だ。
昔の「角砂糖」が復活した。
いつもこのメンバーで3本のギターを抱え、この町をウロウロしていたのである。
「懐かしいなぁ!」で、mikaが手配してくれた小奇麗なイタリアレストランで昼食となった。
昔の当時ですらこの4人が集まると話は尽きなかったのが、この長ぁーい年月のブランクをお互いに埋めあうことから始まって行く。
昼食後はみんなで自分たちが巣立った中学校を訪れようということになり、運動会がひらかれているという母校を訪ねてみることにした。
もう知っている先生が誰もいないとのことだったが、母校を訪れて懐かしさがドバーンと込みあがってきた。
バレーボール部に角砂糖は所属していた。
市内で最も弱いチームだった。
サインはVやアタックNO1のモノマネなんかをやっていたバレー部時代である、こんなんで強くなるはずもない。
Yukariはバトミントン部だったのだが、彼女が練習している姿を見たことはなかったと、大笑い。
恐い先生、スケベな先生、嫌な奴、オモロかった奴、成績のこと、もうすっかり昔の思い出話に華が咲きまくっている。
「ここで、土器や埴輪が出てくるかも知れへんでぇ、って言いながら土掘ったよなぁ」どんな学校や?
今でこそ暴露できる真実の話がポロリンとこぼれ出たりする。
「あんたはあの子が好きやってんよなぁ?」「バレンタインデーにはあの子にチョコレートあげたんや」
3人とも比較的ませていた(今では当たり前の話だが・・・)のに、hirokoは男に関してはかなりオクテだった。
「あたしその頃何やっててんやろ?・・・・・」

「トヨ(hiroko)はよう、斎藤君いじめてたなぁ。泉君もいじめてたなぁ。」
「だってあいつ脚が短かったからや。」
「泉君はおかまみたいやったからや」

どうやらhirokoは小学生のガキ大将のまんまで中学時代も過ごしていたようだ。

校門や玄関を回り、記念撮影なんぞしながらすっかり気分は中学時代にもどってしまっていた。
運動会が御開きとなりはるか年下の後輩達が自分たちの椅子を教室へ戻そうと移動を始めていた。
玄関先で写真を写していると、現役の中学生の軍団が「何やってんねん?変な奴!」ってな顔をしながら通りすぎて行く。
自分はすっかりこんと現役の中学生に戻っていた矢先、「ちょっとおばちゃん、どいてんか!」と男の子の声が後ろから聞こえてきた。
「おばちゃん、どいてんか!」

「へっ?おばちゃん?どこにいるねん?おばちゃんなんかおれへんやん!」なぁーんて思っていて、ふっと我に帰って気がついた。
「おばちゃんはこいつや!」hirokoたちのことを言っているのである。
「ひぇーーーーー!」

そうかこの子達から見ればうちらはすっかり「おばちゃん」なんである。
へへへ、と苦笑しながらおばちゃんはうら若き少年達に道を譲ったのだ。

しかし、けしからん。
大先輩に向かって「おばちゃん」とは!
と、大笑い。
箸がこけても面白い角砂糖は不滅だった。
 

学校を後にして、タウン内の公園でだんごをつまみながら、日が落ちるまで昔話に酔いしれた。
このまま帰るのは勿体無いと、夕食も共にということになり、ホテルに戻ってクリスを引張って、駅前の居酒屋へとなだれ込んだ。
「これほど楽しそうなhirokoは見たことないよ」とクリス君も喜んでいた。
関西の「おばちゃん」パワーの凄さを改めて感じ取るクリス君を横に、角砂糖の宴会は続いた。
音楽を愛するMika,パチンコ狂のおっかぁ、今度店を出すぞぉーのYukari、この3人はhirokoにとってはかけがえのない素敵な友達である。
「また会おうなぁ!」と次回の再会を約束し、真っ暗になった橿原神宮駅の前で記念撮影をして、それぞれのねぐらへと別れていった。
 
 
 


フェスティバル・ゲート
 

飛鳥のサイクリングを楽しみ、旧友との再会を楽しんだクリスとhirokoは実家に戻るべく大阪に戻って行った。
難波に出た二人はクリス君のかねてからの念願であったゲームのショッピングをしようと電化製品の町である日本橋へとテクテクと脚を運んで行った。

普段の日だというのに飛鳥の静寂な村とは大違いで排気ガスと曇天の町をひたすらゲームを求めて中古ショップを散策していた。
日本橋という所、電気屋さんが見事に立ち並び、日本人のみならず外国人もかなりうろついているところである。
電気製品だけに限らず、コンピューター関係、音楽CDやビデオ、そしてゲームなどのソフトも中古ソフトを揃えており、あれれ?こんなところに?と思うような狭い階段を上がったり下がったりしていくと、そこには広大に広がるゲームソフトのコーナーがあったりする。

クリス君とhirokoはゲーム狂である。
UKでプレステにはまり込んでいる。
しかし、最近の「ナムコ」や「カプコン」などの売れ筋人気ソフトはいくらこちらが日本製品でもプレイができるようにとマシンを改造したにも関わらず、プロテクトがしっかりかかってしまうようになっている。
ここは諦めも肝心で、もう日本のプレステ・ソフトを求めるなんてことは辞めにしていた。
それでは?ということで、任天堂のカラー・ゲームボーイのソフトを買いこもうということになった。
ゲームボーイはTVに接続する必要もないので、PALとかNTSC形式がどうたら、電圧がどうたらというややこしいことは一切ない。
全世界共通のおもちゃである。
任天堂さんに拍手喝采だ。
しかもここはニッポン、オリジナルである。
最新作もあるわ、中古のソフトはあるわで、クリス君の目は大きく皿のようにして、各ソフトを食い入るように品定めをしている様子だった。
「あ、GOGOカービィー」が出てるぞ!まだUKにはないな、来年あたりだろう!こいつは面白そうだ!」
カービーは従来の概念を打ち砕いた新式のソフトで、マシンを水平にしたり、斜めにしたり、飛び上げたり、従来のボタン操作はあまり必要がなく、勿論UKにはまだ情報すら入ってきてはいなかった。
「電車でGOもあるぞ!パチンコもあるぞぉー!フットボールもいいなぁ、相撲なんてないかなぁ?」とクリス君は元気はつらつで
頭の電卓をはじいていた。
UKではその品数も知れているし、パチンコや電車のゲームなんぞはお目にかかれないシロモノである。
クリス君は我が家の会計課のhiroko女史に流し目を送りながら、新作や中古を交えてレジへといそいそと清算に急ぐのだった。
「帰ったらみんなにカービーを見せてやるんだ!」その顔はまるでクリスマスの後の子供の顔つきになっていた。

音楽にも勿論興味のある二人だ。
音楽中古CD屋を捜し当て、1枚500円とか1000円、驚くのが100円などというCDをあさりまくった。
ここに来て初めて自分たちのお土産をどっさり仕入れたことになる。

さぁ、これでもう思い残すことはないやろ?
帰ろうか?南港へ。と思いきや、クリス君は「なぁ、hiroko、ここからフェスティバルゲートまでは近いんだろ?行こうよ!ジェットコースター乗りにさぁ!」
「・・・・・今からぁ?行くのぉー?・・・・やれやれ!」
やっぱりおじさんはHOLIDAYを満喫しているようだ。

二人は難波へとひき返し、地下鉄で動物園前まで辿りついた。
フェスティバルゲートは前回の2年半前の里帰りの時にOPENしていたのだが、スケジュールの関係で立ち寄ることが出来ずにいたのだ。
これをしぶとく覚えていたクリス君。
今度こそ行くぞ!と一物胸に秘めていたようだ。
フェスティバル・ゲートは浪速の通天閣の近くに建てられている街中のレジャービルである。
遊園地の好きな二人だが、このような町の真中の遊園地というのは初めてである。
・・・・・とは言っても、何やらデパートの屋上で子供の頃良く遊んだhirokoにとってはそうそうもの珍しいたぐいのものではなかったが、UKにはこんなものは存在しない。

飛鳥からの旅行、そしてどっさり仕入れたCDやお土産、それでなくとも荷物は一杯あるし、久しぶりの日本の暑さに参ってしまったhirokoはヒィーフー言いながらクリス君の後を付いていった。
まったくどっちがナビゲーターなのかわかったもんやない。
「ああ、あれだあれだ!ジェットコースター!」と、クリス君の目がまたまた輝いた。
「一緒に乗ろうよ!」
「あほう!この荷物の見張り番誰がすんねん?あんただけ乗っといでぇ、あたしはここで休憩休憩!」と、クリス君を送り出した。
多分ここは夜になったら若者やカップルで賑わうのだろう。
平日のしかも真昼間であったので、ガラガラ状態だ。
アトモスフィアはかなり乏しくなるが、並ぶことなくすんなりと乗り物には乗ることが出きる。
「ジェットコースターは1番前」という信念を持つクリス君、自分が1番前になるまで1周我慢して、次ぎのコースターの乗りこんだ。
このビル自体がかなり高層なので、このコースターの勾配はかなりのものとなる。
フロリダやオートンタワーズ、スペインの8ループのドラゴンカーンを経験している二人である。
あっけない短さにあれ?もうこれでおしまい?と首をかしげながらも、一番前で嬉しそうに乗り込んだクリス君を見守っていた。

「どうやった?」
「うん、なかなかのものだよ!街の真中にしたら良く出来てるさ!短いのがネックだけど・・・」
と、絶叫系ライドのフリークであるクリス君は感想を述べていた。
 
 

念願であったジェットコースターを終えて、やれやれ、もう帰ろうよぉー。と心の中で叫んでいるhirokoを尻目にクリス君はゲーム・センターを見つけ出してしまった。
さぁ、大変である。
こんなものを見つけ出したが最後、このおじさんはテコでも動きそうではない。
クリス君の目は輝く輝く。
まるで子供にかえって、無邪気に1つ1つのマシンを見て回っている。
hirokoはその子供の守りについてきたおばぁちゃんってところである。
(ばぁちゃんここで待ってるさかい遊んどいでぇ。)ってな感覚で、椅子に腰掛け缶ジュースで喉を潤しながら、休憩休憩で一服していた。

アバディーンのレジャービーチ内のゲームセンターにもいろんなシュミレーションゲームが入っては来ているが、ドライビングやシューティングが主体で、あと最近になってダンスダンス・レボリューションがお目見えしているぐらいである。
クリス君はずらりと並ぶ珍しいシュミレーション・ゲームの数々を戸惑いながらも、またがってみる。

サイクリングの好きなクリス君は自転車のシュミレーションにまたがってコインを投入し、漕ぎはじめた。
「頑張れ頑張れ!」と野次を飛ばすhirokoを背に真顔になって必死で漕ぎまくっている。
(幸せな男やなぁ)
と、後ろ姿を見つめていた。
今度は競馬でお馬チャンにまたがったクリス君。
ボートレースにも挑戦し、渦に巻き込まれて沈没した。
(このおじさん、放おっておいたら、1日中ここを離れないぞ!参ったなァ)
多分クリス君はテントを張って、ここで暮らすぞぉー!なんて言い兼ねない。

延々とクリス君はゲームを楽しみ、大満足だった。
また時間が出来たら来ようよな!と、おばぁちゃんは孫に向かって言いくるめて、帰宅の途につくのだった。
彼は名残惜しげにフェスティバルゲートを後にした。
 
 
 


ベロとベジタリアン

「なぁ、俺いやだよぉー。日本へ行くたびに「変なもの」食べさせられて、これがシリーズ化されるのなんてさ!」
「○○とベジタリアン」
そうなのだ。
前回のお里帰りでは札幌でO先生の計らいで、「とど」「熊」を食っちまったクリス君がぼやいている。

ベジタリアンで通しているクリス君もhirokoの影響でかなり緩和してきている。
「サバ」や「いわし」などの背の青い魚以外なら「お頭」なしの白身なら食べるようになったし、贅沢にもエビが大好物となってしまった。
エビなんてものは、スコットランドでは超高級品なのだ。
実家のブルジョア猫なんかは鼻先でフン!と素通りするような冷凍の小さな剥きエビですら、スコットランドでは高い値段がついている。
そんなものをやれエビカレーだのエビチリなどと要求されてはたまったもんではない。
安い牛肉をガンガン食って食費の節約に貢献して欲しいものだとhirokoはつぶやく。
まったくただの贅沢やないか!
何がベジタリアンや!あたしは認めんぞぉ!

飛行機でもこのおじさんは生意気にもベジタリアン食をリクエストしていた。
通常、普通の人達に配られる食事より優先的にベジタリアン食がもってきてもらえるのだ。
エコノミー・クラスに座りながら、ちょっぴりだけVIP扱い気分になれるということだ。
アホくさい。

だいたい飛行機の中の機内食で「ああ、グルメやなぁ!」などと満足できる機内食なんてものはエコノミー・クラスに座る限り、ありつけるはずもなかろう。
これがベジタリアン食なんてものになると、ラザーニアかパスタと相場は決まっているし、見るからに不味そうだ。

日本についたら、そうそうわがままは言っていられないことをよく心得ているクリス君。
実家に戻るなり、お膳に並んだ寿司をつまみながら、「オイシイデス」を連発させていた。

さて、hirokoとクリス君は2泊3日の自由行動日を設けていて、クリス君は名古屋のこーちゃんに会いに二人は京都で別れたのだった。

こーちゃんと居酒屋で宴会をしたクリス君の前に並んだものは?
今回は熊ではなかった。

「牛のタン」と「なまこ」だった。

残念ながらhirokoはその場に居合わせていなかったので、その実況中継を語ることは出来ないが、ベジタリアンのはずのクリス君がはたまたこともあろうに牛のステーキ肉を通り越して「ベロ」をベロリと食っちまった。
どんな顔で食っていたのか、非常に興味が涌くところである。
まぁ、ガガガーっとビールでそそくさと流し込んだところだろうが・・・

名古屋から戻ったクリス君は興奮気味で名古屋でのHOLIDAY状況を熱く語ってくれた。
「タン」と「なまこ」を食っちまったよぉ!
げげっ!
「可哀相に!よりにもよって牛のベロなんか食っちまったのか!」大いに批判を浴びせ掛けるhirokoだった。

さて、HOLIDAYの第二週目、hirokoとクリスは2泊3日で南国は沖縄へと飛んだ。
沖縄空港に着いてほっとする暇もなく、ツアーのバスに乗り込んだクリス君の様子がちいとおかしい。
「どーしたの?」
クリス君は下を向きながら小さな声で「歯が痛み出した」とつぶやいたのだった。

いつもはHOLIDAYに出る前には慎重派のクリス君は必ず歯医者に検診に出かけていたのだが、今回に限って里帰り前はべらぼうに忙しい毎日を過ごしていたので、歯医者に行く暇もなくそのまま日本へやってきた。
まさかこんなことになるなどとは二人ともどうして予期できよう?
hirokoは母からもらったセデスをクリス君に差し出しながら、「バチやね!バチが当たったんや!」と低い声でつぶやいた。

「何だよぉー!バチってさ?」
「だって、あんた名古屋で牛のベロを食べたやろ?ベロを食うもの、口の中に災いあり!ってとこや。牛ちゃんが、「おいらのベロ食ったなぁ!」って怒ってはんねんわ!あー、恐わぁー!ベロの呪いやわぁ。」

せっかくの沖縄のエメラルドの海も美しい景色も、このベロの呪いから開放されないクリス君は始終鎮痛剤とのお友達で、暑い気温も混じってすっかり疲れきってしまっていた。
薬が効いている間は元気を取り戻した彼。
こーちゃんには世話になったから、お土産を買わないといけないよなぁ。・・・・と日本的な発想が浮かび上がってhirokoを驚かせた。

クリス君は土産もの屋で、こーちゃんに送るお土産を物色していた。
「なぁ、これなんてええんちゃう?」と、hirokoは笑いながら1つのお土産を取り上げてみた。

「みみがー」というシロモノだ。
こいつはブタの耳を切り落として、それを塩づけか味噌づけかの処理を施されている沖縄の名物らしい。
「牛のベロ」のお返しに「ブタの耳」。
いいジョークやねぇ。
hirokoはひとりではしゃいでいた。
クリス君の目も「へ」の字にひん曲げて、ウケたようだった。
結局、クリス君はこの「みみがー」をこーちゃんのお土産と決めて、嬉しそうにレジで清算を済ませた。

ベロの呪いは、この「みみがー」をこーちゃんに発送して、ようやく呪いが解けたのだった。
これには驚いた。
しかし、根が優しいクリス君。
「なぁ、これってさぁ、みみがーの呪いでもって、こーちゃんが今度は耳が痛くなるんでねぇーか?ブタのブー子ちゃんが、「あたいの耳食ったわねぇ!って怒り出してさぁ。恐いなァーーーー。」とクリス君はすまなさそうに、名古屋方面に向かって手を合わせるのだった。

こーちゃん、耳痛くありませんか?








京都の往年のミュージシャン達

2泊3日の自由行動日を設けていた。

クリス君は2年半ブリのこーちゃんとの再会で名古屋に向かい、hirokoは京都や大阪でまたまた時代の違う旧友との再会である。
新大阪駅から新幹線の自由席に乗り込むと超満員。
生まれて初めて新幹線で立ち席を経験した。
立ったままとは言っても名古屋までは1時間だし、京都までは20分ほどのことだからたいしたことではない。
こともあろうに大阪から京都までhirokoはクリス君に付き合って新幹線を利用したのである。
何とも贅沢な奴だ。
まぁ、たまのHOLIDAYなんだから・・・・と納得する。

列車は京都駅に入っていく。
クリス君としばしのお別れである。
大丈夫かいな?とちょいと心配がよぎるが、彼の顔は「久しぶりにシングル・ライフが楽しめるぞぉー!」ってなほくそ笑いを含んでにやけていた。

プラットホームでクリス君の車両と別れを告げ、hirokoは待ち合わせの場所へと向かって行った。

京都。
ここはhirokoが18歳から22歳までの間、親元から離れ、4年間大学に通う為に下宿をし、アルバイトやバンドや恋愛やいろんな意味で青春時代を謳歌した街である。
大学は京都市内でもとりわけ辺鄙な北の果ての山の斜面にへばりついたような学校で、自由な校風から全国津々浦々からの学生が集まってきていた。
現在は移転してしまった大学もあるが、そもそも京都自体が学生の町である。
誰かと体がぶつかればそいつはどっかの学生だって感じである。

今の学生はえらく贅沢になってキッチンや風呂やクーラーまでも備わっているワンルームマンションなんてものに入居しているのだそうだが、hirokoの時代の頃にはみんなが貧乏だった。
ゴキブリが宴会しているキッチン、時折うじ虫の涌く便所、巨大クモがわさわさマラソンをしている廊下、男子禁制の学生アパートなのにコッペパンのようなどでかい靴が転がっているアパート。
(最も、その時代でもここまで凄い女の下宿は珍しかったが・・・・)
「梅干荘」まるで冗談なような名前の下宿がhirokoのねぐらだった。
ここの狭い4畳半の1室で曲を作ったり、仲間と練習をしたり、時折試験前に勉強したり、笑ったり、泣いたり、怒ったり・・・・
今から思えば、懐かしいオンボロアパートである。

大学のサークル「フォークトレイン」に入部したhirokoはまるで水を得た魚のように、いろんな分野の音楽と出会い、バンドと出会い、仲間と出会ったのである。
とりわけド田舎の高校ではrockバンドを組めるという環境ではなかったので、ROCKバンドを組むことが唯一の楽しみだったのだ。
入部をする前にフランス語を専攻していたスミちゃんと出会った。
どのクラブに入部をするか決め兼ねていた彼女をhirokoはひっぱってフォークトレインの仲間に誘い込んだ。
ユーミンが好きという彼女と「オレンジエード」というバンドを作った。
レパートリーはもっぱら彼女の選曲だった。
「竹田の子守唄」が十八番だったオレンジエードは1回生コンサートでデビューを果たした。

その後念願だったROCKバンドへのチャンスが巡ってきた。
今でこそ女の子だけのロックバンドなんてもんは掃いて捨てる程いるが当時としてはセンセーショナルなことだった。
ROCKの好きな女が集まり、バンドが誕生した。
「LSD」である。
メンバー全てがド素人だった。
hirokoもドラムなんてもんは考えてもいなかったのだ。
当時はどえらく貧乏だったわけで、生ギターしか持たないhirokoは新しい電気楽器を買うお金がなかったのである。
ドラムならクラブに備え付けがあり、ドラムスティックを買うだけでよかったというわけだ。
何とも単純明快な理由でもって、ドラムの練習を開始した。
腕の筋肉をつける為に鉄棒を振りまわした。
リズム感を養うためにメトロノームで8ビートを刻むことから始まった。
ヘタクソ・バンドではあったが、練習に練習を重ね、ようやく1曲をマスターした。
CCRの「プラウドメアリー」だった。
こーんなおっさんバンドいややぁ!と言いながら・・・・・・
多くの男の先輩達に助けられて、どうにかLSDも形になってきた。
形になってくると学園祭などでステージに上がり高校時代からの夢が実現した。

バンドの要はリズムセクションだ。
要するにドラムとベースがしっかりしているバンドは格好いいのである。
hirokoとベースのややちゃんはLSDを続けるかたわら、いろんなバンドのセッションにお呼びがかかった。
二人は勢力的にいろんな音楽を練習した。

今回の京都での集まりはそんな往年のミュージシャン達が揃ったのである。
CASAというファミリーレストランでお昼をしようということになった。

待ち合わせの京都駅。
伏見に住んでいるスミちゃんと会うことになっていた。
相変わらずスリムでインテリのスミちゃんが現れた。

「おおおお!久しぶりやねぇ。!」
「あんた京都駅わかるかぁ?」
「うぉー!何やこれぇ?大阪駅のミニチュア版みたいやんか!」
「変わったヤロ?今は地下鉄もあるんやで!」
「それは知っとる!・・・ん?京都タワーがある!それに郵便局もある!こいつらだけやね。昔の面影が残ってるんわ。」

などとすっかり様変わりした京都駅をおのぼり観光客のようにキョロキョロ見まわすhirokoだった。
スミちゃんは携帯電話を持っていた。

彼女と近鉄の喫茶店でどえらいご無沙汰の穴埋め話に花が咲いた。
「オレンジエード」の同窓会だ。
スミちゃんは携帯電話で待ち合わせのCASAに向かうはずのれいちゃんに電話を掛けると、もう既に本日のメンバーが雁首そろえて待っているという。
スミちゃんは車を急がせ、CASAに到着した。

「およよよよぉー!」
でもって、「レイ・バンド」のボーカル「れいちゃん」、「シトロン・ガール」のボーカル「なっちん」、「LSD」のベーシスト「ややちゃん」、(ゴメン!バンド名忘れた!)のボーカル「くるみ」と、ものの見事な往年の女性ミュージシャンが集まっていた。
どのバンドにも御世話になったhirokoで、昔はよくこうして、バンドの練習前や練習後にはミィーティングをやっていた。
あまりの懐かしさに時間が逆戻りする。
お昼をそれぞれ食べ終わり、各メンバーの近況を報告し合い、クラブの先輩達のその後、消息なんかを教えてもらった。

「さぁ、スタジオ行こか!」と、思わず誰かが言い出しそうな雰囲気だった。
「ああ、この空間!長らくなかったなァ・・・・」
赤ん坊が母親の子宮の中にいてるような心地よい空間だ。
考えていること、生活、みんなバラバラなんだが、「音楽」という1つの接点で結ばれている。
余所から見ればただのおばさん軍団がファミレスに集まりお昼を食べている・・・としか映りはしないだろうが・・・・
私達はいつまでたってもミュージシャンだ!と実感した。
みんなが若くって格好いいのだから・・・

普段日の金曜日のお昼である。
みんなはまともな主婦をやているわけだから、夕刻には各家庭へと戻らねばならないという現実が、とうとう子宮内で居心地良く眠っていた赤ん坊を外界に追いやった。
別れを惜しみながらかつ、また会おうぜ!と言いかけているうちにふくちゃんがやってきた。
ふくちゃんもやっぱりミュージシャンだった。
その昔、S&Gのコピーをやっていた「アンジー」というバンドで、ギターとボーカルを担当していた。
hirokoは「アンジー」には直接関わってはいなかったが、卒業してからずっと音信を続けていたバンドである。

女性軍が退散し、ふくちゃんがhirokoの面倒を見てくれることになった。
ふくちゃんは清水の舞台から飛び降りて久しぶりに京都へやってきた後輩に鍋をご馳走してくれた。
フォークトレインというクラブは「男」も「女」も関係ない。
「男」と「女」の友情が成り立つ、摩訶不思議なクラブだったせいで、今でもこうやって遊ぶことが出来る。
学生当時「男っけ」の乏しいhirokoを不憫に思ったか、よくドライブに連れて行ってくれた車狂の彼である。
いろんな世間話に花を咲かせ、メンバーの一人である「まことちゃん」が仕事を終えるのを会社の前に車を横づけして待った。
「まことちゃん」は仕事を終えてよれよれになって車に乗り込んだ。
彼を交えてまたファミレスでのんびりと再会を喜んだ。

「幸せになってよかったのう!」と二人は祝福をしてくれた。
何故なら、hirokoが離婚をして落ちこんでいるときに、この「アンジー」が可愛そうな後輩を岐阜に住むもう一人のメンバー「らいちゃん」のお家経由でドライブに連れ出してくれたことがあった。
このときは、真夜中に岐阜から信州ぐんだりまで車を走らせ、温泉によって、清里まで走ってアイスクリームを食べて帰ってきたのである。
何かと心配をかけてしまったが、今回はhirokoの元気そうな姿を見て安心してくれたようである。
「お前は強いのう!」
「ドラマーやからね!」
とっても素敵な先輩である。

今度はうちのダンナを連れて岐阜で会おう!なぁーんて言いながら、彼らはhiokoの宿泊先のピンガン(中国語学科時代の友達)の家まで送ってくれた。

京都にはhirokoの青春がみっちりと詰まっていた。
素敵な先輩、仲間との時間は貴重で、よくみんな貴重な時間を割いて集まってくれたものだと感謝で溢れかえっている。

ありがとう!
また会おうね!







地震やぁ!

京都でファミレスで御昼を食べているときだった。

念願だった「うな丼」を注文し、ご満悦なhiroko。
懐かしい話に盛りあがりを見せた頃、
くるみが「ああ!」、スミちゃんが「あらら・・・」れいちゃんが「あれぇ?」ややちゃんが。「げげっ!」なっちんが「いやぁ!」
hirokoが「うぉー!」・・・・・

「地震やぁ!」で、足元が揺れ揺れする。
みんなで顔を見詰め合う。
ところが、誰もどう動いていいもんやらわからない。
我々はみんな関西人であり、あの痛ましい「阪神大震災」を経験しているのである。
あれほどのものがくればひとたまりもない。
動きたくても動けないのである。

hirokoはとっさに我々のテーブルの上に吊るされていたシャンデリア状の電気の傘を押さえた。
「あんたら何も動かへんつもりぃ?」
「みどろ(hiroko)何でシャンデリア押さえとるんやぁ?」
「そやかて、せっかくの念願のうな丼や!地震如きで、せっかくのうな丼台無しにしとうない!こいつが落ちてきたらあたいのうな丼、パァーやんか!」
「あんた、うな丼どころやないやろ!全く変わってへんわ。」

地震はすぐに収まった。
ふと、名古屋に出向いたクリス君のことが気がかりとなった。
何せ、スコットランドには地震なんてものは存在しない。
彼にとっては初めての恐ろしい経験となるはずである。
名古屋にまでグラグラが押し寄せているのだろうか?

地盤が揺れるほど恐ろしいことはない。
改めて、断層が幾重にも走っている日本という島国の危険を思い知った。
 
 



大阪オフ会2000
 


スコットランド・メーリング・リストというのがある。
ここではスコットランドに関するいろんなタイムリーな話題をメンバーたちが自由に発言できる場としてときおりhirokoも顔を出していた。
メンバーは勿論全国津々浦々から成り立っており、メールだけでは飽き足らず、時折オフ会なるものでメンバー同士の交流会とでも飲み会とでも言うのだろうか・・・スコットランドを酒のあてに会を催しているみたいである。

さて、hirokoのお里帰りに重なって、大阪のメンバーで会を催そうということになり、K氏とF氏の手配のもと、御堂筋パレード当日のビア・フェスティバルで大いに飲みましょう会を計画されるに至った。

K氏とF氏とはE-mailでは何度となくやり取りを交わしてはいるものの、実際お会いするのは初めてのことである。
だが、同じ関西出身者。
メールの内容はざっくばらんで、フレンドリーだし、そうそう型苦しい会ではなさそうだとhirokoはこの日を楽しみに待っていた。

さて、当日は大いに飲むぞぉ!の意気込みもむなしく大阪入りしてからの連日連夜の熱帯日、そして連日連夜の酒飲み会がたたり、当日早朝は帰国後初ゲロをドバリンコとトイレに放出してしまったhirokoだった。
せっかくギネスのTシャツを着こんではいるものの・・・・胃袋の方がhirokoを見上げながら「まだ飲む気かえ?ええ加減にしときや!」と叫んでいた。

待ち合わせは駅前のとあるホテルのロビーだった。
ホテルのロビーに11時。
うんうん。わかるやろ。
などと思っていたのが大間違いだった。
約束を交わしていた時はhirokoはスコットランドである。
その感覚のままで約束したのだ。
つまり、ここにいると、待ち合わせと言えども、日本人なんて滅多やたらいるわけだはないのだから、「駅で何時よねっ!」ですぐに日本人は見付けられる。
別に赤いバラを持つ必要もないし、当日どんな服装でなぁーんてこともいらないのだ。

ロビーのソファーに腰をかけて、とんでもない大ボケだったことに気がついた。
何せ見渡す限り日本人ではないか!
こりゃぁいかん!みんな日本人やんか。
どーやってF氏とK氏を探せばええのや????

頭が真っ白になった矢先、とらちゃんとたみちゃんがニューッと顔を出した。
「hirokoさん!」

「うげぇっ!なんであんたらこんなとこにおるんや?」(呼んでおいて失礼な!)
実はこのカップルに出会ったのは彼らがグラスゴーで1年間住んでいたときにアバディーンへ遊びにきて知り合ったのである。
勿論彼らはこの9月に帰国をして、hirokoが大阪ヘ帰ってくるというので時間があればここへおいでなどと呼んでいたのだったが、こんな日本人ばっかりのホテルのロビーで出くわしてしまうと、思い出の中のとらちゃん、たみちゃんと回りの風景がちぐはぐで、「何でこんなとこにおるねん?」ってなってしまった。
そうや!この子らは日本へ帰ったんやな。。。ふと我に戻って「元気やったかぁ???」などと記憶を埋めて行くhiroko。

そうこう世間話をしているうちに前方から「しのぶちゃん」が現れた。
「とよださぁーん!」
「しのぶちゃわわわわぁーん!」懐かしの可愛い後輩である。

しのぶちゃんに説明をする。
「男性二人と待ち合わしているんやけど、顔知らんのや!」
「目印決めてなかったんですかぁ?もう!トヨダさんらしいわぁ。」
「そやけど、何でもお一人はちょび髭はやしてはるという情報を得てるねん。それだけや!」

・・・・と、二人はぐるりとロビー内を見まわす。
「ちょびひげ・・・・」

「結構、いますよ!ちょびひげの人・・・・」
「・・・・う・・・うう・・・んん・・・・」

結局、しのぶちゃんはつかつかと「ちょびひげ」の男性に声をかけに歩いていくのだった。
その後姿を見ながら・・・「ええ子に育ってくれました!先輩は嬉しい!誠に嬉しい!こーいう秘書が欲しいなァ・・・アバディーンへ連れて帰りたいなァ・・・・」と目をへの字に曲げながら、大きく成長を遂げたしのぶチャンを誇らしく思うのだった。

無事にちょびひげのKさんとFさんと合流することが出来、みんなで目的地の「ビア・フェスティバル」会場へとブラブラ歩くのだった。

ビア・フェスティバル、名の通り世界中のビールが集まったお祭りである。
日本を始めアジア各国、インド、ドイツ、チェコ、イギリスなどのヨーロッパ各国からいろんなビールが各テントで販売されている。
ビールだけではなくちゃんと食べ物も各国のご自慢料理を販売しているのだ。
これほど嬉しいことはない。
hirokoは世界の食べ物をトライするのが大好きなんである。
ビールも日本へ帰ってからここんとこラガーばっかりでエール党のhirokoにしてはやっとこここでエールが飲めるぞ!と張りきってしまった。
 

気合を入れて着こんできた「ギネス」のT-シャツだったが、どういうわけかアイルランドは出展されていなかった。
少々がっくりとしたが、ここはいろんエールをトライしてもいいもんだ。
日本から出展されているエールを試してみる。
うん!なかなかイケルではないか!とインド料理のケバブやドイツのソーセージ、中国の焼きそばなんかをつまみながら、大阪オフ会2000の会食は和やかに進む。

ステージでは九州からやってきた和太鼓、韓国の色鮮やかな民芸舞踊、日本の歌手などの出演で場を盛り上げていた。

スコットランドからのお土産をみんなに手渡した。
「ジミー・ハット」である。
スコットランドに関係がある以上、これをかぶらんでどーする???である。
ちょびひげのKさんは目をぐにゅーと細めて、立ち去ろうとする気配。
Fさんは大層お気に召されたようで、早速かぶってみる。
「うわぁ!似合うぅー!似合うやン!緒違和感全然ないでぇー!」に喜んで、Fさんは被っていることも忘れて、各テントを回っている。

ここは大阪人のノリに任せて、全員でジミーハット軍団の記念撮影となった。
ビア・フェスティバルの一角に奇妙な弱小劇団の集団が陣取っているかのような雰囲気をかもし出していた。
「なぁ、周りの人たちにはきっとうちら、芸人やと思われてるでぇー!」とhirokoははしゃぐ。


ちょびひげのKさんは「嫌やぁ!俺は嫌やァーーー!」と下を向きながらも、カメラを向けるとポーズを作る!
さすが関西人である。
とらちゃん、たみちゃん、しのぶちゃん、KさんFさん、みんなでかぶる。
みんなでかぶれば何も恐いモンはないのである。
2002年のワールドカップのための予行演習なのだ。
恥ずかしがっていてどーする!
と、みんなを励ましたhirokoだった。
 

とらちゃん、たみちゃん、しのぶちゃん、Kさん、Fさん。
みんなお忙しいのに集まってくれてありがとう!
2002年のワールドカップ!我々が先頭に立ってスコットランドを応援しましょうね!
 
 



しのぶちゃん

hirokoには目の中に入れても痛くないほどの可愛い後輩がいる。
彼女の名前は「しのぶちゃん」と言う。
古風な名前の通り、彼女は当時から見かけに似合わず古風だった。

まだ10代のしのぶちゃんがhirokoの勤めていた会社にアルバイトで入ってきたのが最初の出会いだ。
髪の毛が見事なストレートで長く、笑顔のとっても似合う美人であるし、頭も良く、飲み込みの早い快活な女だった。

彼女は会社を辞めてからロンドンへ留学をしたり、お金を貯めてはいろんな外国を飛びまわって、スノーボードをやりに山に出掛けたり、ハワイのホノルル・マラソンなんかにも参加する超アウトドア派の女であった。
美人で頭が良く、スポーツ万能とくれば嫌味なところが多々見え隠れしてもいいところなんだが、そいつが一切無いのである。
いまどき珍しい国宝級の女だ。
二人の間にはかなりの年齢差が横たわっているのだが、お勤め時代はまるで友達のように、ときには美人姉妹?の漫才のように大阪特有のボケとつっこみで楽しくお仕事をこなしていた。
友達のようになぁなぁな部分もあるかわりに聡明な彼女は当時にしたら珍しく、ちゃんと先輩と後輩の域をわきまえ、礼儀の正しい女であったので、hirokoの大のお気に入りの後輩となったのである。

そんな彼女が「大阪オフ会2000」でビア・フェスティバルへ参加待ち合わせの場所であった新阪急ホテルのロビーに現れ出でた。
「ああああああああーーーー!しのぶちゃぁーん!」
「わぁー!とよださぁーーーーん!」
で、再会を果たすのだった。
しのぶちゃんはやっぱり美人だった。
結婚をし主婦をやっているのに、全く生活観がにじみ出てはいなかった。
(まだ若いしなぁ)
長年忘れていたボケとつっこみが復活する。

「ねぇ、とよださぁん、待ち合わせって言っても会う人の顔知ってんですかぁ?」
「知らんのや、何せ初めて会うんやさかい。でもなちょびひげ生やした人ともう一人が来はる予定なんや」
「・・・・・。。あの人ちょびひげ生やしてはるけど・・・・行って聞いてきたらどうですかぁ?」
「あたしがかえ?恥ずかしいやん。もし違ごうてたら・・・」
「・・・・まったく変わってませんねぇ。もう!本当に小心者やねんからぁ・・・・」
「だいたいやで、あたしに行かせルンかえ?この大先輩に!??」
「もう!全くゥー!わかりました!可愛い後輩が行ってきまぁーす」

と言いながら、しのぶちゃんはちょびひげのKさんとFさんを無事に探し当ててくれたのだった。
全く役に立つ女である。
hirokoは誇らしげにしのぶちゃんを見た。

しのぶちゃんは初めて会う人にもすぐに内溶け合って、快活なお喋りに加わっていた。
hirokoが酔っ払ったり、意味不明なことを口走ると、必ずこのしのぶちゃんが、「ねっ?とよださんはこう言いたいんですよねっ?」っと通訳に回って、みんなに説明を施してくれるのだった。

スコットランドからお土産にとみんなに配ったジミーハットで記念撮影を施した時にも「嫌やわぁ、このひとたち!」と言いながら、一番喜んでかぶっていたような気がする。
ステージでは和太鼓が登場する。
「とよださん、目が怒ってますよ!ドラムやりたいんでしょ?何でも和太鼓のトップクラスの人になると1ステージで10万円ほどなんですって!海外じゃぁウケるしね。あああああ、とよださん、やろうなぁーんて思ってるんでしょ?」
「・・・・うん。なぁ、一緒にやれへんかぁ?儲けようぜい!」
何とも彼女にはhirokoの考えていることがみ見透かされちまっている。
 

「○○ってどんなところなんでしょうね?」
と誰かが聞くと「あのですねぇ、あそこはこーいうところで、こんなもんがあってぇ・・・・」などと調子よく答える。
「あんた行ったことあるんかえ?」
「いえ、ないです」
「あんたなぁ・・・・・・・」

「××ってどんなもの?」
「それはですねぇ、こうこうこうで・・・・」
「あんた見たことあるんかえ?」
「いいえ、ないです」
「あんたなぁ、・・・・・」

などと再びボケとつっこみのコンビが復活した。

オフ会がお開きとなり、二人だけになってしのぶちゃんの快活さにふとかげりが見え始めた。
いろんな苦労があったのだろう。
彼女のダンナ様のお迎えがやってきて、実家まで送ってあげましょうと車を走らせてくれた。
 
 

しのぶちゃんはヤマハのボートに乗っている。
モデルとしてパンフレットにも写真が掲載されている。
後輩の頑張りを心から誇らしく思う。
「ああ、オハグロ見たかったなァ・・・・」と言うhirokoに「それを言うなら、ガンクロでしょ!」と怒られてしまった。

hirokoはよぉし!仕返しでい!しのぶちゃん、今あんたに言い忘れていることがある!と、大昔のことを思い出したのだった。

それは大昔のことだった。
会社で何やらの議論を交わしていた。
思い込みも自信たっぷりに信じ込んでいれば、それはそれで恐いもんはない。

しのぶちゃんは切れ長の目をキリっとさせながら、「このいずはつまりこういうことなんです。だからこうなるんですよ!」と、鬼気迫る思いで、反論してきた。「いず」とはつまり「意図」のことである。
結局、彼女のあまりにも真剣な形相と気迫に圧倒され、この「いず」を「いと」に訂正して諭してあげる勇気を失ってしまったことがある。
思い込みもここまでくれば、立派なものである。

しのぶちゃんよ、今だから話そう、今でも「いず」と思いこんでいるのならばそいつは間違いであるよ。

無事にアバディーンに帰国後、彼女からE-mailが入った。

「いや〜、それにしても、ほんとに懐かしかった。
そして、最高に楽しかったです。
私の予想どうり、さっと現れて、嵐のように去って行ってしまいましたね。
お家に送って行った時、歩いていく後ろ姿を見るのがすごく寂しかった・・・。」

そーか、あたいの猫背の後姿を見ていてくれたんだ。
と、じーんとしてしまった。
しのぶちゃん、頑張れよ!また会おうね。
 
 



親指族と白いレッグワーマー

2年半前に帰国したときにまず驚いたのがオバさん族の携帯電話だった。

電車の中で人の迷惑を顧みずこんなとこで話さねばならんのけぇー!と怒り狂いたくなるような内容のお喋りを延々と甲高い声で話していた。
主婦に浸透していた携帯電話。
現在、スコットランドもオバさん族に普及してきている。

さて、今回はもっとショッキングだった。
おじさんはもとよりおばさんももとより、子供、つまりガキの分際で携帯電話を持ち歩いているのである。

帰国前には日本の経済は崩壊し、リストラが増え、hirokoの知り合いの何人かの事業は貧窮の危機に,面しているだの、リストラを受けてしまって現在無職・職探しといったことを小耳にはさんでいた。
ところがどーだ?
親たちは貧窮しているというのに子供が携帯電話を持っている。
やっぱり日本は金持ちだ。

何なんだろう、いい年した主婦がキティーちゃんやなんかの携帯電話ケースそしてストラップをぶら下げて、大事そうにしている。
子供とお揃いで・・・・?????

地下鉄に乗った。
すると学校帰りの高校生の軍団がどさぁーっと乗り込んで来た。
女子高生は皆が皆、このクソ暑いのに白のレッグ・ワーマーをはいていた。
ふーん。これが学校の規定のレッグワーマーなんか?お洒落になったもんやなぁ。
地下鉄は冷房がガンガンに効いているから、女の子は足元を冷やしたら、ええ子が産めんってわけか?
水虫にならんのかいなと心配してしまいそうに見ていて暑苦しい。

がさっと席を陣取った高校生達は一斉に小型の携帯電話を取り出した。
そしてその小さなおもちゃにむかって必死にダイヤルしているように見えた。
「おい!こいつら、まさかみんながこんなせまっ苦しい空間で電話をかけるんちゃやろな!」
目を細めてみているが、一向に会話を始める気配はない。
それじゃぁ彼らは一体何をやってるんだ?
みんながみんな学芸会の劇のように揃って下を向き、ボタンをブチブチとプッシュしている。
異様な光景が目の前に広がった。
みんな友達同士で並んで座っていると言うのに、会話もせず、にこりともせず、ひたすら下を向いてブチブチだ。

あとから聞いた話によれば、これを「親指族」と呼ぶそうだ。
そしてこの文明のおもちゃは何とE-mailが出来るという。
あんな小さなボタンでメールを打たねばならんのか?
家に帰ればキーボードがあるんではないのか?
地下鉄の中で打たねば売らねばならないメールとはどんな内容なんだ?と時代を遥かに乗り遅れてしまった浦島おばさんは大きく首をかしげてしまった。

能の面をかぶった学生が白いレッグワーマーをはいて、下を向いて最新のテクノロジーでもってE−mailを出す。

「お母ちゃん、今晩カレーにしてぇーな!じゃがいも入れんといてや!」
するとお母ちゃんからE−mailが帰ってくる。
「牛の角切り、あれへんから、帰りに関西スーパーへよって買ってきてぇー!それとお父ちゃんのエサも忘れんといてや!」
となる。
彼女はメールを出す。
「ええっ!あそこ遠いやんか!嫌や、山田肉店で買っていくわ」
お母ちゃんも負けずに出す。
「あかん。、あそこは高いから!関西スーパーは今日は安売りやってるんや。それが嫌ややったら、カレーはなし!」
結局彼女は折れる。
「しゃーないなぁ、行くがな!お父ちゃんのエサはいつものんでええな?いわし1パック98円って奴で・・・・」

hirokoは無心にE-mailを送り続けている少女1人にスポットを当て、一人で想像しながら苦笑いを噛み殺していた。

テクノロジーの最先端をいく今のニッポン。
携帯電話のひとつも持ってないと仲間はずれってことだろう。
しかしだ。
みんながみんな同じ物を来て、同じ物を持って、同じ事をやっている、しかも地下鉄と言う限られた狭い空間の中でだ。
外へでても勿論、見渡す限り、あちらこちらでこの親指続が幅を利かしていた。
もうすぐ公衆電話や家庭の据え置き電話がなくなる時代がくるという。
なんとなく恐ろしい。
感受性が一番豊かな時期を下を向いて携帯電話で遊ぶ学生達。
君達、もっとやることがあるんではないか?
音楽を奏でるとか、絵を描くとか、本を読むとか・・・・・ナンだか寂しいなぁ。

テクノロジーと言う教祖様に操られた信者たちとでも言うか・・・
きっとテクノロジーという他の惑星からやってきた侵略者がいて彼らを骨抜きに操り人形にしてしまったようにも感じられた。
クリス君と目を合わせながら、「早くアバディーンに帰りたいね」とささやいた。
 
 
 


エピローグ

今回のお里帰りは出来る限り多くの旧友に再会することにスポットを当てていた。
しかるに内容はhirokoの交遊録めいたものになってしまった。
ん?十年ぶりに会う先輩、友達との再会は言葉何ぞはいらない世界で心地よいもの。
そして新たな人とのめぐり合い。
両親や妹の家族との再会。
めまぐるしいスケジュールだった。
みんな忙しい中を時間を作ってくれたことにこの場をお借りして「ありがとう!」

そんななか、いろんなことでもショックを受けた。

たった2年半の間にニッポンはこうも変わるんだ。
集団生活・集団行動。
みんなと同じ事をやっていれば間違いはない。ってな風潮が以前より数倍も感じられた。
個性がどんどん失われてしまっている感じがした。
古き良き時代はもうどこにもない。
こんなこと話し始めると本格的なオバンである。
「もう、日本には住めないな・・・」とても寂しく実感してしまった。
hirokoはどんなにオバンになって落ちぶれても、操り人形にはなりたくない。
能面をかぶってにこりともしない人々。
目が合っても無視である。
もっとも日本で目が合ったからといって「ニコリ」をやればヘンタイ扱いされるのがオチだろう。
だが、スコットランドには「ニコリ」がまだあるんだ。
見知らぬ人とすれ違っても「おはよう!今朝は天気がいいね!」があるんだ。
コミュニケーション、これこそが真実のコミュニケーションではなかろうか?
指を使ってピコピコ打つのが今のコミュニケーションかと思うとぞっとしてくる。

今回のお里帰りの後半は「早くスコットランドへ帰りたい」と願っていたhirokoがいた。
これには自分自身が驚愕と落胆の入り混じった複雑な気分だった。
つまり今回の里帰りで自分自身の立場をはっきり認識できたのだ。
親父が言った。
「もう、お前はスコットランドの人間やな」
また或る人から質問された。
「hirokoさん、もしも将来、クリスさんがあの世に先にいってしまったら、hirokoさんニッポンへ帰りますか?」
そのとき、何も迷わず言った。
「スコットランドに残るだろうね。」と。

だってイースト・エンダーズが見れないのは辛い!