MALTAコクーン紀行


プロローグ
マルタってどんなとこ?
日程
エピローグ

マルタのショートショート
 


プロローグ
今世紀初めてのHOLIDAYが決まるまでには少々時間がかかってしまった。
・・・とうのも日本への里帰りを済ませ、クリスマスとニューイヤーが終わって金欠病の最中であるからだ。
しかしだからといって、3月に申請してあった1週間の休暇を家でゴロゴロしているのも苦痛である。
だいだいHOLIDAYなのだから、何ぁーんにもしたくないのである。
家で何ぁーんにもしなくてゴロゴロしていても腹は減る。
腹が減ったら何か食わねばならない。
何か食うためには誰かが台所に立って料理を作らねばならない。
我家にはメイドはいないのだ。
しかるにその誰かと言うのはクリス君かhirokoかということになる。
クリス君が出来る料理はパスタを茹でて出来合いのソースをかけるだけ。1週間をこのパスタで責められるのは苦痛である。
そうなるとやっぱりhirokoが台所に立たねばならなくなってくる。
もともと料理は好きだが1年まぁざっと見積もっても300日は「おさんどん」をやっているのであるから、1週間は主婦業を休業したってバチは当たらないはずである。

今年も二人は何とか安いHOLIDAYはないものだろうか?と新聞広告やTVのTELETEXTをくまなくチェックし始めた。
以前から1度は参加してみたいとどうも気になって気になってしょうがなかった「ミレニアム」という会社の打ち出すコーチHOLIDAYのパンフレットを今年も入手してみた。

さて、このミレニアムの打ち出すパッケージHOLIDAYは目が飛び出る程安いと来たもんだ。
それというのも、こいつはコーチ・HOLIDAYだからである。
つまり、出発地はドーバーで、フェリーで大陸に渡る。
そこから長距離バスに乗り込んでひたすらヨーロッパ大陸ぶっちぎりと言う奴だ。
目的地まで果てしなくバスに乗って国境を越える。
勿論1泊はバスの中で、眠らなければならない。
しかしだ、イタリアの保養地として知られているLALE GARDA4泊(フェリー・バス・B&B込み)で3月の価格は£99.00となっている。
しかもアバディーンからドーバーまでのナショナルエクスプレス(バス)の往復が£27.00にディスカウントされるという。
総額£126.00でアバディーンからイタリアまで行けちゃって、4泊のB&B、おまけにドーバー海峡を渡ることが出来ちゃう。
「面白そう!」
パンフを見る限りでは物凄く魅力的である。
だが、狭いバスの中でこの超長旅でほとほと疲れきってイタリアに到着し4泊するとは言っても、疲れがとれるまでに2日かかったとして、2泊楽しんだだけで、はたまたこのえげつない工程で戻っていくことになる。
アバディーンから考えるとバスの車中で4泊することになる。
私達の年令がこの工程をこなすだけの体力があるかどうか・・・ギリギリのところか・・・
でも安い・・・
このすんごい魅力的な?HOLIDAYを日本のどっかの「がまん」とか「サバイバル」系統のアホな番組のスタッフ達に挑戦して欲しいような気がする。

「いっちょぉやってみようか?」とクリスとhirokoは興味津々で電話をかけてみた。
ところがだ、3月のこの時期なかなか人が集まらないらしく、私達の出発日のコースはキャンセルとなったらしい。
ちょっぴりがっくりしたが、いやはやこの工程はかなり疲れそうだ。

数日後、新聞を見ていたクリス君が「MALTAが安いぞ!」と言い出した。
MALTAバーゲンという会社の打ち出したパッケージは、マンチェスターからのフライトで1週間3つ星ホテル滞在・ハーフボードで£198というものだった。
ハーフボードとは朝食と夕食が含まれているのである。
こいつは安上がりだよね。とhirokoも大いに賛成の拍手をする。
マルタからはフェリーでイタリアのシチリア島へも渡ることが出来るし、色々見所も多いようだ。
イタリアのLAKE GARDAは保養地とは言っても3月の季節じゃぁまだまだ寒いだろうし、マルタなら、お天気は春並みの陽気に包まれているはずである。
何しろフライトっていうのがいい。
ネックはマンチェスター発着ということだが、またしてもクリス君がヴァージン・トレインが打ち出した半額セールの期間に丁度入っていて、アバディーンからマンチェスターの往復が£22.50という信じられないようなディスカウントぶり。
リバプールやブラックプールには行ったことがあったが、マンチェスターは初めてだ。
チャイナタウンがあるということだし、マンチェスターも楽しみである。
MALTAの天候は3月で20〜22度あたりと言うことで、まぁさしずめスコットランドの夏って感じだろう。
現在は雪のアバディーンである。
ここより暖かければどこでもいいのである。

もう決まりだね!でもって、クリス君は予約の電話を入れた。
ヴァージン・トレインの往復も確保して、全てが順調に運んでいった。
後は出発を待つばかりである。
 
 


マルタってどんなとこ?
 


地中海に浮かぶ島マルタ島は幾多の諸外国からの侵略が繰り返された国で、1964年にようやく主権国家として独立を果たした共和国である。
島の面積は2.6平方キロメートルと、日本の淡路島の三分の二程の土地に人口が37万人と言う、ヨーロッパの中では一際人口密度の高いところだ。
イタリア半島の下シチリア島から南方90キロ、アフリカの海岸から北へ290キロという位置関係で、人々の言語は英語とマルタ語が公用語で、イタリア語、アラビア語が入り交じっている。
島全体の数多くの建物や遺産はイタリア調でもあり、中近東調でもあり、英国調でもあり、幾多の侵略の名残を覗かせている。
街や村を訪ね歩くとそれはそれは多くの教会が点在している。
マルタの殆どの人々はローマ・カソリックを信仰しているそうだ。
硝子工芸やレース、さぼてんのリキュール、チーズ、ワイン、などが主な観光産物でいたるところにお土産屋がある。
この島には、一年中を通して数多くの観光客で賑わっている。
特にブリティッシュ・ジャーマンの為のHOLIDAYアパートメントが北部の休暇地に集中して建設されている。
引退した人々が寒い冬を光熱費や食費を費やして自国で過ごすよりも、冬といっても心地よいマルタで1〜3ヶ月過ごすという御老人が多い。
各地には神殿跡やSTANDING STONE、などの古代からの遺跡も多く、海岸沿いでは風向明媚な崖の芸術が楽しめ、漁村に赴くと、色鮮やかな小型船が横付けされ、新鮮な魚を安く美味しく調理しているレストランやカフェーが並んでいる。
島内の交通手段はバスと車で列車は通ってはいない。
バスはこの島内を縦横無尽に走っているし、料金は18c〜40c(45円〜100円)と安い。
小さな島ではあるにも関わらず見所は一杯詰まっている。
経済面では独立独歩でやっていけないマルタでは海外輸出と観光に大きく力を入れているせいか、観光客にはもってこいのバカンス地でもある。
オスカーの呼び声の高い「グラディエーター」も一部のシーンをこのマルタで撮影しているし、約20年ほど前ロビン・ウィリアムス主演の「ポパイ」もこの地で撮影され、そのセットがそのまま「ポパイ村」として残っていて、観光客を出迎えてくれている。
GOZO島やシチリア島へもフェリーが通っていて、1週間あればマルタを満喫することが十分出来る。
 
 
 


日程
3月8日(木)

アバディーン・・・プレストン・・・マンチェスター

今朝のアバディーンは相変わらずの灰色の空。
頬を打つ風も一際強い。
しかしうちらはこれからHOLIDAYである。
ウキウキ気分で寒さもさほど感じない。
9時15分発のヴァージン・トレインに乗り込む。
このアバディーンからマンチェスターへ行くには直行では行くことは出来ない。
プレストンで乗り換えであるが、そのプレストンまではエジンバラを経由して約5時間である。
口蹄病がイングランド全域近くを犯してして、スコットランド南部のロカビー地方にも広がった。
この列車はそのロカビーも通っていく。
あのTVの映像で見た牛や羊達の丸焼きの死骸が転がっているのかと不安がよぎる。
ヴァージン・トレインはかなりボロい。
スコットレイルが最近奇麗な車両に様代りしているので、余計にそのボロさが目立つのだが、GNERやヴァージン等の長距離列車には喫煙車両が設けてある。
(ちなみにスコットレイルは全車両禁煙)
運良く座った車両は喫煙車両ではあったが、えげつない煙に包まれていて、自分も喫煙者ではありながら、これほどの煙に長時間さらされるのは結構しんどいもんだ。
今度から「禁煙席」を予約した方がよさそうだ。
吸いたくなったら喫煙席になだれ込んだらいいのだから・・・
マークス&スペンサーで仕入れたサンドイッチに諸々のお菓子をほおばりながらリックサックに詰め込んでいた読みかけのスティーヴン・キングに目を落としながら列車の旅を楽しんだ。
見慣れたアバディーン〜エジンバラ間の光景を通り過ぎ、問題のロカビーを通過する。
窓から外の光景を見るが、羊達は元気そうに野原でお食事をしていた。
ああ、まだ大丈夫なのかなぁ。

OXENHOLMEに到着する。
ここは有名な保養地であるレイク・ウィンダミアへ行く乗り換え駅である。
夏場はそれはそれは物凄い観光客で賑わっている駅であるが、この季節である、駅は閑散としていて長閑な田舎の駅だった。
初めてスコットランドを旅した時、ロンドンからグラスゴーまでの線でこのあたりは通ったことがあった。
やっぱりその時も夏場だったので、OXENHOLMEは日本人やアメリカ人、ドイツ人でごった返していた。
行きはよいよい、ウキウキしているので、PRESTONまでの5時間はあっと言う間に過ぎていった。
しかし、UKの列車特有の列車の遅れが30分。
マンチェスターへの乗り継ぎ列車を1本見逃してしまう。
だが、こういう場合は次に来るどの列車に乗ってもいいのである。
とにかく今日のフライトは午後10時半なのだから、時間はアホ程ある。
プレストンからマンチェスターまでは約50分あたり。
ここでもはたまた列車の遅れでプレストン駅で何と50分も待つこととなってしまった。
工程が切迫したタイムスケジュールは組まない方がいい。
とにかく時刻表なんてこの国にはいらないんじゃないか?と思うくらいに列車は時間通りにはやってはこない。
hirokoとクリスにとってはとにかくマンチェスターで時間潰しをしないといけなかったので、寧ろ有難かった。

マンチェスター。
アバディーンのド田舎からやってくるとそこは大都会の摩天楼だ。
しかしこの駅、どでかいのはいいが、吹きっさらしでかなり寒いし、これほどの規模の駅でありながらスーツケースを引っ張る観光客の対策がえらく乏しい。
エスカレーターは昇りだけで、多分普通は動いているだろうはずのエレベーターは故障中。
どでかいスーツケースを昇ったり降りたり、結構しんどい駅だった。
そそくさこの大荷物を預かり所に放り込み、マンチェスターの街の空気を吸いに駅を出た。
リバプールと並んでここマンチェスターも一昔はブリテン島の産業の最先端だった都市だった。
だが、近代的な建物の裏にすす汚れた崩壊ビルがその栄華のなれの果てをちらりと覗かせていた。
町にはメトロと呼ばれる路面電車が走り、切符の買い方といい、電車のサイズといい、アメリカはボストンのサブウェイにとても良く似た感じだった。
二人はこのメトロに乗り込んで、チャイナタウンへと直行した。
その大昔hirokoは中国語を専門語学としていたので、どこの国に行ってもそこにチャイナ・タウンがあるぞと聞けば必ず一度は足を運ぶ。
マンチェスターのチャイナタウンもこれまた規模は少々小さめなのだが、ボストンのそれと良く似ていた。
腹ごしらえと時間潰しにPAN ASIAというレストランに入った。
名の通り中華が主体ではあるが、日本食もインドネシアもマレーシアもありといったASIA料理を出す店だ。
値段はセットメニューがあり、前菜とメインコースで£3.99と安い。
大衆食堂並みの値段であるが、店内は広く清潔で今風のお洒落な大衆食堂って感じだった。
値段の割に、そのセットメニューは美味しかった。
学生や旅行客必見のお店である。
満腹になったところで、ボチボチ駅へと引き返し、荷物をピックアップして、再び列車に揺られて約20分程でマンチェスター・エアポートへと到着した。
チェックイン・カウンターには既にキューが出来ていた。
いろんなパッケージ・ツアーのチャーター機が並んでいるゲートだった。
今回のチャーター機はSABREエアウェイズだ。
搭乗が開始され、座席についた途端、長旅の疲れがどばっと出てきた。
 


3月9日(金)

マルタ到着

機内を見渡すとものの見事なほどの白髪の御老人の団体客がひしめきあっていた。
まるで、老人ホームの修学旅行って感じである。
深夜を過ぎてMALTAまでは3時間あまりのフライトである。
やはりこういうパッケージ客を詰め込んだチャター機である。
一昨年経験したスペインのツアーの時もそうだったように、機内の飲料はすべてお金を払わねばならない。
映画も上映されるが、画像だけで音が聞きたかったらヘッドホーンを£3.00で購入しなければならない。
映画を見る気力もアルコールを取って酔っ払う気力もなかったので、ひたすらウトウト薄い眠りを繰り返していた。
ツンツンと腕を突付くクリス君に促がされると、驚いたことに機内食が配られている。
へぇーっ?格安パッケージ・チャーター機でも3時間のフライトともなると、ちゃぁーんと機内食が出るんだぁ?と驚いてしまった。
味?言うまでもなく、恐ろしいほどに不味かったが・・・
時間潰しには丁度いい。

マルタとUKの時差は1時間。マルタの方が1時間早くなる。
早々朝の3時半、どっさりのイングリッシュ・白髪老人会御一行様のチャーター機はマルタ国際空港にランディングを果たした。
タラップを降りていざ入国という入り口で何やら洗剤の泡が浸されているマットレスが敷かれていた。
口蹄病の為の消毒液だった。
そうか、ブリティッシュは今はどこの国に行っても歓迎されないってことだな。
むやみに菌をばら蒔いて自国の家畜を犯さないでくれー!である。
日本でもUKから戻ってくるフライトの乗客もこういうことが行われているんだろうか?
しっかし、こんなマットレスを踏みしめて靴を消毒した位で感染予防になるのかな?
ようわからん。

入国審査何てものは殆どない。
ブリティッシュは素通りであるが、毎度乍らジャパニーズのhirokoだけはパスポートにスタンプが押される。
毎度乍ら得した気分だ。
到着口を出ると「マルタ・バーゲン」の係員が乗客を確認し、外で待っているバスへと誘導した。

空港から約40分程で我らの1週間のお宿であるパームコート・ホテルに到着した。
まだあたりは真っ暗で、廻りがどういう環境で景色がどうかなどはとんとわからない。
またそれどころではない。とにかく足を伸ばして眠りたい。
鍵を渡され、部屋へと直行する。
迷子になるくらいかなり広いホテルである。
部屋はベーシックでシンプルだが、清潔なのが嬉しかった。
そそくさ荷物を運び入れるや否やベッドの上になだれ込んだ。
朝食が9時からで、10時半にミーティングということだった。
こういうパッケージ・ツアーには、必ず到着後にミーティングが行われる。
そのミーティングでは滞在中の注意事項、ホテルの設備、マルタの見所、そしてオプショナル・ツアーについて参加者をつのるって訳である。
早朝5時前に到着して10時半のミーティングとはかなりきつい。
だがまぁ、ここで仮眠をとって、また終わってから爆睡すればいい。
時間はまだまだたっぷりとあるんだから・・・

ミィーティングに参加し、オプショナル・ツアーについてクリス君と二人はあれこれ考える。
せっかくここまで来てシチリア島へ行かぬのは実に勿体無い話だからだ。
イタリア・シチリア島へのホリデイなんてことになるとこのUKから考えると物凄く割高なものとなる。
しかし、マルタ島から約2時間でシチリア島へと渡る高速艇が出ているので、ちょっとシチリア島を見る
だけでも満足であるからして、二人はこのシチリア・1日ツアーを申し込み、GOZO島への1日ツアーを申し込んだ。
2つのグランド・ツアーを申し込んでくれたと言って、半日のマルタのツアーをおまけにつけてくれた。
このシチリア島への船は観光シーズンの夏場は毎日運行しているが、3月現在では週に木曜日と土曜日の2本しかない。
木曜日と言えば帰る日であるから土曜日しかない。
明日ということだ。
出発はロビーに5時15分に集合で、戻ってくるのは深夜12時頃となる長時間ツアーとなる。
今日1日はのんびりと長旅の疲れをいやそうと決め、部屋に戻って再び爆睡に入った。

夕刻ようやく眠りから覚め、夕食までの時間をちょいと周辺のお散歩でもしようと、外へ出ていった。
至る所に土産物屋があり、取り急ぎ絵葉書なんかを買い求め、ブラブラと海岸まで歩いていった。
ここはマルタ島の東北部にあたり、QAWRAと呼ばれるところで、「Q」は発音せず「アウラ」と呼ぶそうだ。

勿論この周辺は観光客用に建てられたHOLIDAYリゾートとしてのコンプレックスで、何から何まで揃っている。
マグドナルドもあるし、フィッシュ&チップス、ピザ インド料理、中華料理、理髪店、コインランドリーetc・・・
このアウラ地区から徒歩圏内でBUGIBBAというアウラよりひとまわり大きなコンプレックスに出る。
まず、マルタのホリデイを決めた場合、この2つが上がってくるが、「ブッジバ」の方はヤングや家族連れ向き。
つまりALL NIGHTのディスコやカラオケやいろんなアトラクションが控えていてファーストフードのお店が多い。
それに対して「アウラ」の方は幾分静かで中高年向きといった説明を受けることになる。
hirokoとクリスは静けさを好む訳で、スペインのコスタ・ブラーバのように毎晩ディスコの若者でホテルの外が騒々しいのは懲りている。
であるから、「アウラ」を選んだのだが、見事な老人地区となっている周辺は毎日がのっそりべったり象のワルツのように流れているみたいだ。
うーん。微妙なところだな。
うちらは若くはないが、老人には早すぎる。

夕食の時間だとホテルに戻った。
このHOLIDAYには夕食も含まれているのである。
有難いことだ。
とにかくホテルはどでかいので、朝食や夕食は各階ごとに時間が分担されている。
夕食のスタイルは勿論ブッフェ形式であるが、メインコースは1つしか選べない。
前菜やガロニは盛り放題で自分で好きなものを皿に積み上げていくが、メインコースはコックさんが立っていて皿に盛ってくれる。
肉と魚を同時に食べることは出来ない。
こういう3つ星の巨大ホテルだ、味がどうこうの世界ではない。
調理場の人間は数をこなすことで1日目一杯働いているんだろう。
このマルタに来る前に職場のシェフであるグレンから、「hiroko、ハーフボードの食事は期待しては駄目だぜ、まぁ3日は食えるだろうがな・・・・」などと聞かされていたが・・・・
うーん。そうだな、大当たり!って奴だ。
別に二人はグルメを極める訳ではないが、まだ初日である。
物珍しさで夕食を詰め込んだ。
勿論美味しいことはなかったが、腹を満たすことは十分出来る。

明日の朝は早い。
シャワーを浴びて、ベッドに横になった。
 
 



 

3月10日(土)

シチリア島

早朝4時半に目覚しコール。
そそくさと支度をして、階下に折り、昨日頼んでおいたパックランチを受け取る。
今日は夕食をホテルで食べない分、ツアーの為にパックランチに切り替えることが出来たのだ。
5時20分、我がホテルからの参加者は7名。
この7名を乗せたミニバスがマルタ島の首都であるバレッタに向けて出発した。
高速ボートにて90分との事であるが、波の状態や天候によってその時間は早くも遅くもなると言う。
90分ではたまた外国に出るという訳だ。
まだ暗闇のバレッタの港に到着し、昨日マルタへの入国スタンプが押されたばかりのパスポートに出国スタンプが押される。

マルタ島とシチリア島を結ぶVIRTU FERRESに乗り込んだ。
事前にこのツアーを申し込んだ時にお姉さんから、「くれぐれも後方座席に座るように・・・」との注意を受けていた。
このような小型高速ボートでは前方は丁度競艇ボート並みに前方はかなり上下に揺れ狂って船酔い者が続出するらしい。
せっかくのボートなのに甲板なんてものがない。ちょっぴりがっくりしながらも座席で大人しくお目覚めのコーヒーを飲みながら約1時間半の船旅を楽しんだ。
私達と同様に各ホテルから募られたオプショナル・ツアーの参加者が殆どを占め、街中のツアーパンフから参加したものや個人客などを含めて、船内はほぼ満席状態となっていた。
大半がブリティッシュで、そこにドイツ人、イタリア人、アメリカ人、そして日本人などが混ざっている。

小雨の落ちるシチリア島POZZALOに到着した。

そこは典型的な小さな漁村だった。
船から下りてまたもや入国審査である。
毎度ながら、ブリティッシュは素通りのなか、hirokoはイタリア入国のスタンプが押された。
税関を出ると大型バスがずらずらと並んでいる。
各バスにはそれぞれ番号が掲示され、例えばこのバスは英語、このバスはスペイン語、このバスはフランス語・・・という具合に各国の言語によるガイドさんが控えている。
つまり自分の判る言語のバスを選ぶという仕組みである。
日本人の場合、これは残念ながら日本語のガイドさんはいないので、必然的に英語バスを選択するようにアナウンスされているが、フランス語の方が・・・という方にはフランス・バスに乗り込めばいい。
このフェリーからの降船客の殆どはシチリア一日ツアーの参加者なので、税関を通過した人々は吸い込まれるように各言語バスへと収容されていく。
英語バスの後方に乗り込んだhirokoとクリス君の後ろには日本人の若い女の子組5名が並んでいた。

シチリア人のガイドさんの説明が始まり、バスはPOZZALOを出発した。
このバスの中でマルタのお金であるモルティーズ・リラ又はUKポンドからイタリアのリラへの両替が出来る。
1UKポンドが2700リラとなった。
やはり海を90分と隔てただけの近隣島とあってか、風景はマルタに似ている感じだ。
シチリアの歴史や特色など、ガイドさんの説明が始まるや否や、一番後方の席に陣取った日本人ガキ大人達がワイワイキャーキャーとお喋りを開始する。
幼稚語を遣った甲高い声である。
ガイドさんの説明が全く聞こえなくなり、廻りの乗客もちょっぴり苛立っているようだ。やな感じだ。
英語の説明が聞き取れないのか、わかんないのかそこんとこは分からないが、全くマナーが悪い。
大人しくてお行儀がよくって、勤勉でマナーのよい、日本人の古き良きイメージは完全にぶっ飛んだ。
「こいつら、このバスから放り出してくんない?」と苛立ちながらもここで、注意したら、この1日ツアー中こいつらに睨まれそうで、今の若い日本人、何をするかわかんない。
関わり合いになりたくないと、クリス君を顔を見合わせ、暗黙の諦めとなる。

バスはトイレ休憩にストップしたところはPOZZALOの小さなカフェだった。
ここで、コーヒーを飲む者、トイレへの行列に参加するもの、写真を取りまくる者と分かれた。
目に入る看板が全て当たり前の話だがイタリア語だ。
全くわかんない。
私達が到着したPOZZALOはシチリア島の南東部にあたる。
これから北上しカターニア地方(ワインで有名)を通り、東北部のエトナ火山、そしてさらに北上し観光地として有名なタオミーナに到着するというコースである。

再びバスに乗り込み、いざエトナ火山に向けて出発した。
モディカの街に豪快に架かっているヨーロッパで2番目、そして3番目に大きい橋を渡る。
ここからの眺めは格別だ。
バスの中からシチリア島の田舎の田園風景を楽しむ。
ものの見事なまでのオレンジ、そしてレモンの木が道の両サイドに延々と連なっている。
同じ島であってもマルタを比べ、シチリア島はかなり大きい。
お昼前にエトナ火山麓に到着する。
ヨーロッパで一番大きな活火山であるエトナ火山。
 


溶岩が流れ出し、地元の家や教会を一気に飲み干したその残骸跡が痛々しく、溶岩に埋まってしまった屋根しか見えない
家等が窓から見えた。
自然の恐ろしさに感嘆する。
噴火口近くのレストランでバスは止まり、お昼休憩と自由時間がたっぷりと与えられた。
エトナ山山頂はまだまだ雪が残っている。
ここは、夏場でもかなり寒いところだろう。
セーターにジャケットと防寒服のいでたちだったが、それでも凍えそうに寒い。
取りあえず、ホテルから頂戴してきたサンドイッチ、リンゴ、チーズ、クラッカーなどが入ったランチboxを開けてしっかりと平らげた。

噴火口へとお散歩し、その広大なクレーター周辺を観察した。
お土産物屋でいくらばかりか買い物をする。
 
 

再びバスに乗り込んで、タオミーナに向かった。
海抜206mという高台に広がるこの街はエトナ火山が望めて、美しい青く広がる地中海を眺める事が出来る絶好のリゾート地である。
宮殿や寺院などがローマ風、ギリシヤ風で、UKとは一味違った風景に目を見張った。
たった1日では勿体無いところだ。

絵心がなくても絵が描きたくなるような素晴らしい景色である。
ここでもたっぷりと自由時間が持たれ、各自で好きな所を廻るように指示された。
クリス君とhirokoは寺院を見学したあと、シーフードのレストランへ入ろうと少々高そうな感じのレストランの前にやってきたが、シアスタだった。
シアスタとは午後の休憩時間である。
スペインでもそうだったが、こういう暑い国では朝9時頃から1時あたりまでお店は開いているが、午後の休憩として1時から4時あたりまで店を閉めているところが多い。
残念だよなぁ。と思いながら、普通のカフェで本場のピザを注文した。
生地がとってもクリスピーで簡単なチーズトマトソースが乗ってるだけだったが、やはり本場で食べるピザは美味かった。
二人は自分達へのお土産にと、高級なオリーブオイル、パスタ、シチリアン・ワイン(赤と白)パルメザンチーズを購入した。
これらのものをマークス&スペンサーで購入するとなると£30は下らないはずだ。
hiroko自身は余りイタ飯嗜好ではない。
これはきっと行くレストランの先々で美味いものを食してないせいかも知れない。
やたら、トマトソースのきついものやゴテゴテしたソースのかかったパスタが嫌いだからだ。
オリーブのたっぷり効いたチバーター・ブレッドを焼いて、高級なパスタに高級なオリーブオイル、そしてホンマ物のパルメザンチーズを裂いてパスタにかぶせれば何もソースなんてもんはいらないのである。
パスタを茹でて、オリーブオイルをたっぷり絡め、塩と胡椒で味を整え、パルメザンをかぶせる。
これだけで充分美味しいほんまもののイタリアンである。
アバディーンに戻って食するのが楽しみだなぁ。と二人は顔を見合わせながら、購入した食材をバッグに詰め込んだ。

シチリアの1日ツアーは終わった。
また是非とも来てみたいところである。
マルタを拠点として入ってくるのが、安上がりなので、今度もし来る時にはマルタに入って、またこのボートでやってきて、1週間ほどシチリア島に滞在したいもんである。

ボートに乗り込んだ。
今度は後方座席が満席だったので、恐れながらも前方座席のど真ん中に座った。
行きはよいよい帰りは怖い。
まさにその通りだった。
これは又別欄で書くことにしよう。「恐怖の2時間」

深夜12時、パームコート・ホテルに着いた。
二人は朝早くからの疲れと船酔いでもって、よろけながらべッドへとなだれ込んだ。
 
 



 
 

3月11日(日)

休息日・・シネマ

日曜日である。
HOLIDAY中と言えども休息日が必要だ。
殆どのお土産物屋などもこの日曜日はやっぱり定休となるらしい。
一昨日の超長旅、そして昨日の長時間ツアーと、たて続けに動いていたので、やっぱり日曜日はのんびりしようということになった。

朝食をとって、のんびりと海岸沿いを歩きながら、ブジッバまでお散歩をする。
日曜日の午前中は長閑で町全体がのんびり休息しているようだった。
ホテルに戻って昼寝するもよし、本を読むもよし、計画のない旅ってステキである。
ブッジッバをぶらついていると、おおよそその街の風景に似合わないアメリカン調の近代的な映画館を見付けてしまった。

「映画見るってぇーの、いいね。」
二人は上映作品と時間を照らし合わせ、11時から始まる「ハンニバル」を見ることにした。
日曜日の午前中とあって、ガラガラスキスキ状態だ。
3Fのシネマに登っていくが、お決まりのポップコーンやコーラ売り場はあるものの、誰も係員などいない。
おまけにトイレまで電気が点いていないのだ。
結局1Fまで戻ってトイレに寄って、1Fのカフェでコーラーを買う。
上映時間となったので、再び3Fに登って座席につく。
結局だだっ広い映画館内にお客は私達2人と男性1人というたったの3人だった。
「ハンニバル」は小説を予め読んでいたが、これをどうやって映像にするんだろうか?とかなり興味があったが、原作とは結末が違っていて、少々がっくりきてしまった。
しっかし、脳味噌をペロリンと食べるシーンは思わず吐き気を催しそうだった。
映像はかなりどぎつくなっている。
クラリス役のジュリアン・ムーアが前作のジュディー・フォスターに似か寄ろうとした役作りだった。
似合ってない。
彼女は彼女なりのクラリスを演じればいいのに・・・でも前作があれだけの大ヒットでしかもオスカーなんだから見る人はどうしてもジュディーと比べて当然か?
ハンニバル・レクターのアンソニー・ホプキンズだけが見事に決まっていた。

映画を終えて、イタリアン・レストランにて軽食。
シーザー・サラダと魚介類のメインコースを頼み、実に満足の極みだった。
ようやくシーフードの本家本元を味わったぞぉーって感じ。
長閑な昼食の後はホテルに戻って昼寝をしたり、シャワーを浴びたり、本を読んだり、近所のPUBで地元のビールを味わったりして、日曜日は静かに暮れていった。
 
 



 
 

3月12日(月)

半日観光

この日は2つの1日ツアー(シチリア島、GOZO島)に参加するプレゼントとして半日ツアーがおまけについてきた。
朝9時にロビーに集まったのは6名だった。
ドラーバーとガイドを兼ねたパトリックさんに連れらて私達をマルタ島の中部観光へと出発した。
赤いミニバンに乗って巨大サボテンがわさわさとなっている田舎道をブンブン突っ走る。
真っ黒に日焼けしたパトリックさんは勿論マルタ人なのだが、マルタ人っていろんな人種が混ざり合っている。
外国の侵略が繰り返されたお国柄、地黒のアラブ系、黒髪のイタリア系、金髪のブリティッシュ系と大きく3つに分けれている感じだ。
勿論どの人もマルタ人である。
パトリックさんはアラブ系だった。
流暢だが、少し癖のある英語でドライヴの間、マルタの説明をしてくれていた。
マルタ共和国のナショナル・スタジアムを通り過ぎる。
やっぱりこの国でもフットボールは盛んみたいである。
(あまり聞いたことはないが・・・)

マルタ島の中心にはモスタ(教会)が聳え立っている。
最初の停車は、Buskett Gardens。
レモンやオレンジの木が香しい匂いを放ちながら、朝のお散歩にはもってこいのガーデンで新鮮な朝の空気を吸いながら、時を過ごした。
 
 
 
 

猫が気持ちよさそうにひなたぼっこをしていた。
ミニバスに戻り、Dingli Cliffsへ向かう。
今では1年に1度しか開かないという村の教会の前にバンは止まった。
マルタには、とにかく至る所に大小規模こそ違うが、同じような教会を目にすることが出来る。
Dingliの断崖の素晴らしい景色と海からのすがすがしい空気を思いっきり吸い込む。

この断崖のポイントをぐーんと辿ればそこはアフリカはチュニジアの港となるらしい。
バンはその後HAGRAT神殿跡へと出発する。
一通りの説明を終えたパトリックさんはこのMGARRの田舎の街で自由時間をたっぷりと与えてくれた。
午後1時にホテルに戻るまでの間、カフェーで食事をする者、神殿まで行くもの、各々好きなように時間を潰した。
 


クリスとhirokoはひとまず、Hagrat 神殿跡へと直行したが、観光客が入って石にダメージを与えられないようにと、現在はクローズされて、柵で廻りを取り囲まれていて、中に入ることは出来なかった。
柵の間から写真だけを取って街の中心に戻り、カフェーでコーヒーとクロワッサンで軽い昼食をとる。
午後からは何ぁーんにも計画は立ててはいない。
スーパー・マーケットに入り、何か珍しいものはないかと物色した。
外国へ来るとこういった地元のスーパーマーケットに興味がある。
お土産物屋もいいが、その国のその土地の人たちがどんなものを食べているのか、どんなものを買うのか興味があるからだ。
ここの村のスーパーでは殆どがブリテン島からの輸入ものが大きな顔を並んでいたが、同じポテトチップにしてもWALKERSのものよりもマルタの製品なんかを買い込んだ。
お菓子類をたっぷり仕入れて、バンに戻り、ホテルへと到着した。

クリス君が午後の一時を散髪屋へ行くといい、hirokoはホテルのプールサイドのサンデッキに長々と身体を伸ばして、先程買い込んだお菓子とビールを片手に椎名誠の本を読み始めた。
「ああ、これがHOLIDAYの醍醐味だ!気分は最高!」
この一時をどれだけ待ち望んできたことだろう。
暖かいお天気、ビールも美味いし、ポテトチップスも美味い。
のんびりと本が読める環境は忙しく寒いアバディーンでの生活ではなかなか築くことは難しい。
まさに憧れのライフスタイルだ。
このマルタへ冬の間やってくる御老人達のように引退したら3ケ月ほどスコットランドを離れて、マルタかスペインで暖かい冬を過ごす。
3ケ月分の本を船便でどっさり送り、読みまくる。
何て素敵な老後ではないか!
しかし、連れ合いのクリス君はそういうプールサイドでのべぇーっと1日を過ごせるタイプではない。
どんなに腰が曲がっても奴はえっさ、ほいさでいろんな所を廻りたい質である。
まるで日本人みたいな奴だ。
あたしは観光はもういい。
のんびりしたいのである。
お互いが自由人の頑固者同士であるから、じじいとばばぁになった時が恐ろしい。
ま、その頃には行きと帰りが一緒であとは別行動ってなことになるんかいなぁ?などと一人で空想しながら散髪屋へ出向いたクリス君の帰りを夕食の時間まで待っていた。
髪を短く切った後、PUBでビールを飲んで、海岸通を散歩して、部屋に戻ってシャワーを浴びて小奇麗に
なったクリス君と共に(もうええ加減飽きたでぇー、腹は満たすことは出来るが満足感がない)ホテルの夕食に向かった。
 
 



 
3月13日(火)

バレッタ・ポパイ村
 

マルタ共和国の首都はヴァレッタである。
今日はこの老人村と化しているアウラから離れ、いざ都会の観光でもしようということになった。

この島の交通手段はバスである。
マルタのバスは観光名所の数々をくまなく結んではいるものの、ヴァレッタを基点にしているので、島の端から端へ行こうと思うと、殆どのルートがヴァレッタに一度出て、乗り換えてという具合となる。
つまりアウラがBとするとしてヴァレッタがA、そして観光地のC、そしてDを廻って戻ってくる計画だったら、
B→A→C→A→D→A→Bというややこしいルートとなる。
目的地によってはダイレクトで行ける場合もあるが・・・殆どがこうなる。
アウラのバスターミナルで1日パスというものを購入した。
まぁ、バス自体は安いので、1日バスとはいっても1.5LM(マルティーズ・リラ)でどんなバスにも乗り放題ということになる。
パス購入時に島内のバスルートと何番の系統なのかがわかるシートを貰った。
柿色のおおよそ30〜40年前日本で走っていた?ようなオンボロのバスだ。
バスのドアは開けっ放しでブンブン突っ走る。
アウラを後にバスは首都ヴァレッタへと向かう。
海岸線、山道、田舎道、全く風向明媚なところである。
至る所に同じような教会が目に入る。
30分程で建物の密集度が増えてきた、ヴァレッタだな。
ヴァレッタのバスターミナルへ到着する。
何台ものバスがサークル状になったターミナルだった。
この季節と言えど観光客でごった返している。
老人村からやってきたオノボリさんは、ここヴァレッタに久しぶりに多くの若者の姿を見出して、「あっ!若者がいてるぅー」などと叫んでしまった。
 

ヴァレッタのセンターには、ショッピングセンターやお土産もの屋やカフェー、そして何と言っても衣料品点が多い感じがした。
マルタは衣料品が安い。どのガイドブックにも載っていた通りだ。

クリス君は外国に出ると必ずその国の音楽CDを、それがどんなにしょーもなくたって、1枚は買って帰る習慣を続けている。
マルタのヒットソングの寄せ集めCDを求めて、クリス君はCD屋へ入っていく。
hirokoは衣料品店をブラブラ見てまわった。
このシティーセンターは何段にも重なったかなりの高台でやたら坂道が多い。
建物はかなり密集し、火事でも起こったらさぞかし大変だろうなぁと思いながらも、僅かな空間を利用した建て方、窓に植え込みが置かれて、花々が美しくデコレートされていて、地中海、中近東、アフリカ文化の混合した感じの風景だった。

クリス君はCDを選び、今度は本屋に入り、マルタでベストセラーという小説を店員の女の子に勧められて1冊購入していた。
高台のセンターから坂道を下ると海岸に出てくる。
歴史的にこの街自体が要塞化されているせいで、岩壁が街をすっぽり守っているといった景色である。
ブラブラとこの岩壁に沿って長閑なお散歩。
 
 
 

お日様の陽射しがきつくなってきた。
再び坂道を上がり、メイン通りの屋外に張り出したレストランのテーブルについた。
マルタではタコがたくさん獲れるのか、タコのメニューがhirokoの目を引いた。
オクトパスのサラダ、そしてピザを頼む。
オクトパスはスペインで味わったような生をそのままソテーして簡単に塩、胡椒しているといったものではなく、
オリーブ・オイルにずっと漬け込んで柔らかくしたタコだった。まるで缶詰みたいで、ちょっぴりがっくりした。
タコ本来のコリコリっとした歯ごたえがないのはやはり寂しいものだ。

昼食を済ませた二人はバザールへと足を運ぶ。
通り一杯に続く長ぁーい青空市場である。
ここには圧倒的に衣料品が多く、中古CDやカセット、骨董品、花、お菓子、日用品、電化製品などのテント張りのお店が続いている。
見て廻るだけでも結構楽しいものだ。
このバザールでhirokoはクリス君の3枚1組のパンツを1.5LMで購入した。
こんな休暇に出てまでダンナのパンツを心配するとは、主婦やなぁ、と苦笑い。

このヴァレッタの町中には「The Pub」という名の「PUB」がある。
ここで、この店で俳優のオリバー・リードが心臓発作で倒れ、亡くなった。
丁度映画「グラディエーター」の撮影を終えた直後のことだった。
最後のストップなどというキャッチフレーズが看板に書かれていたが、存命中も彼はこの店で毎晩のように呑んでいたのである。
店内には存命中のオリバー・リードの写真が飾られ、別段ただの普通のPUBなんだが、彼のお気に入りで
入り浸っていたということで、観光客(特にイングリッシュ)にはウケていたようだ。

時計を見るともう2時だ。
休暇時の時間の進行は何て早いんだろう。
さぁて、今からどこへ行こうか?と、地図を睨み、二人は「ポパイ村」のあるマルタ島の北西部へとバスに乗り込んだ。
この「ポパイ村」は1979年に、パーラマウント&ディズニーで制作されたアニメのポパイの人間化した映画の名残である。
ポパイにはロビン・ウィリアムズが扮している。
その時の撮影の為に組み立てたセット全てがそのまま取り壊されることなく、アトラクションの1つとして、島の北西部であるアンカー湾に残っている。
hiroko自身の記憶が曖昧で見たような記憶があるのだが、全く覚えていないところを考えると、大した映画ではないような気がするが、今度video屋で見付けたら借りて見てみようと思った。

おい!何てこったい!のポパイ村は閑散としていた。
最も今は観光シーズンには早すぎて、こういうアトラクションは子供向けなのだから、子供の来れない3月は閑散として当たり前なのだろう。
まぁ、子供が夏休みに入った時期には或る程度の人気があるのだろう。
中に入ると、時間帯でいろんなショーや当時の撮影の模様を収録したシネマが上映されていた。
セット自体は面白く、なかなかのものだったが、閑散期は死んでいる。

全く勿体無い気がする。
もっとテーマ・パークとして大々的に広げて金もうけすればいいのにとは思うが、お金がないのだろうな。

ポパイはミッキーマウスとは違うし、今の子供は「ポケモン」「デジモン」の世界で、今の小さな子供達が「ポパイ」を知っているのかどうかが疑わしい。

アンカー湾に夕日が落ちる。
バスを待ちながら美しい夕日を眺めていた。
 



 

3月14日(水)

GOZO一日観光
 

オプショナル・ツアーの1日観光だ。
マルタのメインランドから西北端を上がったところに小さなCOMINO島があり、ここは観光シーズンの夏場だけしか渡れないそうで人も住んでいないという。
その小さなCOMINO島の西にGOZO島がある。
今日はこのGOZO島内を1日かけて廻るツアーに参加した。
ホテルのロビーには7名の参加者が待っており、ガイドのローズさんが現れた。
先だってのガイド兼ドライバーだったパトリックさんが再びドライバーとなって登場した。
ミニバンに全員を乗せて、マルタのメインランドの北端であるパラダイス湾へと向かう。
ここで、パトリックさんとお別れして、フェリーに乗り換えてガイドさんを伴ってGOZOに渡り、GOZOのミニバン・ドライバーさんにバトンタッチという内容だ。
フェリー乗り場には総勢30名程の日本人JTBツアーの観光客がわさわさと並んでいた。
日本経済がめたくそに落ち込んでいるとは聞いていても、海外旅行が出来るというのだから、本当の意味での不況ではなさそうだなぁーんて思う。
かなり大型のフェリーで、かなりの観光客が乗り合わせていた。

日本人、英国人、ドイツ人、アメリカ人、イタリア人、フランス人・・・・いろんな言語が船内に響き渡る。
このマルタのメインランドとGOZO島間はフェリーでたった30分である。
この2つの島に橋をかける計画が随分前になされたようで、日本人の技術者の協力で一時は現実なるか?の状態だったのだが、なにぶんお金がないので、断念したという。
この断念で、最も喜んだのは不思議なことにGOZO島の島民だったらしい。
メインランドへの橋が架かれば便利になっていいのにと思いそうだが、あまり便利になりすぎると、GOZO島本来の自然が損なわれ、観光客によって破壊されるのを恐れていたと聞いた。
だが、しかし観光客というのはゴキブリのようなものだ。
いい景色があるとなれば、大枚はたいてどこでもやってくるものだ。
今の私達のようにフェリーに乗ってまで・・・・。

シチリア島へ渡ったスピード・ボートとは打って変わって、ユラユラとのんびりとしたフェリーだった。
やっぱ船はこうでなきゃぁ。
天気は快晴で地中海の澄んだ青い海、真っ青な青い空、美しい景色に見とれながら、フェリーはあっという間にGOZO島への発着場であるMGARRに到着した。
ミニバンが我々を待っていて、ガイドのローズさん共々乗り込んで、民族歴史博物館へと向かった。
ここではマルタの歴史がそれぞれの言語のツアーで紹介されている。
各部屋を説明を聞きながら廻っていくのだ。
これには、フランス語のローテーションが始まれば、フランス人が詰め込まれ、英語が始めれば英語圏の人間が案内されるしくみとなっていた。
館内には土産物屋もあり、美しい硝子工芸やジュエリー、この島の女達が端正込めて編んだというレースや手編みのセーターなどが特産物のようだった。

その後バスは「タ ピーヌ至聖所」に到着する。
ここは国立の聖人の遺物保管所らしく、マルタそしてGOZO島の人々の巡礼の集会所となっているそうだ。
勿論教会であるから半パン、サンダルなどという格好では入ることは出来ない。
我が団体の一人MRブッチャー君が慌てて持参してきたジャージのパンツをはいて中に入る。
中のステンドグラスは美しくこれらがイングランドで作られと聞いてMRブッチャー君始めとするイングリッシュ老人団体はウンウンと誇らしげに頷いていた。
奥に進んでいくと廊下いっぱいに額が所狭しと掛けられており、それらは今迄事故や病気でこの世を去ったり、現在も身体障害を抱える人の遺族や家族達がその人の生存中に身につけていたもの、当時の事故の新聞、ベビー服、ギブスなど様々なものが額に詰められたり、そのまま吊るされたりするかして、まるで奇跡を願うかのように飾られていた。

バスはGOZO島の美しい海岸線を走り、これこそ有名な絶景地の1つである「ゼルカの窓」に到着した。
自然の力で造られた壮大なアーチにため息が出る。

イタリアン・チャペルも隣接し、テントを張った簡易お土産もの屋が呼び込みをしている。
しばしの自由時間が与えられ、写真をとったり、チャペルを訪ねたり、崖っぷちまで登ってみたりしながらゼルガの窓を堪能した。
 
 
 
 

昼食の時間がやってきて、バスはシレンディという街へ到着した。
夏の間には世界各国から数多くの観光客や地元の人たちで賑わうところだそうだ。
ここで、たっぷりと自由時間が設けられ、各自で好きな昼食をとることになった。
湾がぼっこり窪んでいて、その海岸沿いには美味しいシーフード料理を食べされてくれる店が多いとか。
二人はドライバーに「どこの店がシーフード美味しい?」と尋ねると、ついておいでと私達を素敵な「モービー・ディック」という
お店へ連れて入ってくれた。
廻りではハンバーガーやサンドイッチを食しているイングリッシュ達。
どうしてこういう美味しく新鮮なお魚が獲れるところで、ハンバーガーなの?と疑問が湧いてきてしょうがない。
hirokoは、ムール貝と小エビのサラダ、クリス君はキングプラウンのエビずくし・・・
屋外のテーブルで海屋断崖絶壁を眺めながら、素晴らしい昼食に舌づつみを打つ。
エビとガーリックの香ばしい香りに引き寄せられるように猫が寄ってくる。
ふと大阪の実家に居るブルジョア猫を思い出してしまう。
エビの殻を剥いただけでふと下を見ると必ずあいつはじっと背中を曲げて待っている。
まるで同じである。
1匹が2匹となり3匹と二人のテーブルを取り囲むように座っている。
何だか異様な光景だが、ものすごく長閑で平和な感じ。
いいなぁ、こういう毎日っていいなぁ。このままここで暮らしたくなってしまうではないか。
猫達はそれでもお客様が食べている間は、テーブルに上がってきたり、手をヌヌヌゥーと伸ばしたりはしてこない。
良くわきまえているもんだ。
食事を終えたあと、エビの頭を放ってやるとカリカリと実に美味しそうにパクついていた。
新鮮な海の幸を楽しんで大満足のhiroko。
集合時間まで、ボォーっとしながら海を眺め、GOZOの猫を眺めていた。

ミニバンは、GOZO島のシティーセンターであるヴィクトリアへと向かった。
昔はラバトと呼ばれていたそうだが、イングランドのヴィクトリア女王によって与えられた新しい名前だそうだ。
この街では国際レベルのオペラそしてPOP音楽のコンサートや音楽フェスティバルが盛んに開かれているとのこと。
やはりこの島も幾多の侵略のターゲットとなり、街の中心には高台の要塞が築かれている。
要塞の入り口を入ると真正面に大聖堂があり、中は美術館になっている。
廻りには入り組んだ細く、くねった道に古ぼけた土産もの屋が並んでいる。
要塞を上がっていくと、街が一望できる。
ここでもたっぷりと自由時間が設けられ、要塞内を歩き回って美しい街を展望した。
高台の要塞を降りていくと、そこは地元の人々が集まる広場(イトック)に出て、そこにはpubやカフェー、青空市場、街の特産物などと売る店が集まっていた。
hirokoとクリスはカフェーでコーヒーを飲んで、しばしの休憩。
店を出て青空市場を見て廻り、GOZO島で作られた胡椒がたっぷりと漬け込まれたヤギのチーズを買った。
このチーズはかなりシャープな味だが、やみつきになる味でもある。
美味しいカリカリのパンに美味しいワイン、それが揃えばもうグルメの世界となる。
シチリアで購入したワイン、オリーブオイル、パスタ、そしてこのGOZOチーズ。もう何も言うことはない。
アバディーンへ戻ったらまだ2日休日がある。
これらの食材はこの2日間の為にと購入したものなのだ。

ミニバンが出発時間を告げた。
GOZOの新鮮な空気と美しい大自然が作り上げたランドスケープ。
この1日は実に充実したものだった。
来た時と同じフェリーで、マルタのメインランドに到着した。
ホテルに着いて少し身体を休め、ここの夕食はもうスキップ!と決めた。
しかし、7日間の夕食で4日もこのホテルの夕食を食べたのだ。
たいしたもんだ!と大笑い。

ブジッバへとテクテク歩き、地元の料理を出すレストランへと入っていった。
丁度弾き語りのライブが始まったところで、雰囲気のいい素敵な店だった。
イングリッシュの観光客のためのセットメニューなんかがあって、前菜・メインコース・デザートが3LM
(マルティーズ・リラ)という安さ。
最も、フィッシュ&チップスとかピザとかパイなんかのお決まりのメニューだが・・・

マルタ滞在もあと1日を残すところである。
マルタのお金は思いもよらず結構残っているので、豪勢にいこうじゃなか!
何しろあの不味いホテルの夕食を4日も我慢したのだ。
御褒美御褒美!
と、クリス君が珍しいことに太っ腹になった。
ワインリストからGOZOの最高シャードネーを選び、前菜はhirokoははたまたタコのサラダ。
メインコースをこの国のナショナル・ディッシュであるところの「うさぎ」を注文した。
タコはやはりオリーブオイルに漬け込まれたものだったが、期間が浅いせいか、結構コリコリした生に近いものだった。
ワインは実にスムーズで飲み易い。
ここでボトル3LM(マルティーズ・リラ)だ。
アバディーンのレストランでは£10は下らないだろう。
「ラビット」はグレービーと赤ワインとデミグラソースで煮詰めたものだった。
小骨が結構あるが、味はチキンという感じだった。
ウエイターはダニー・デ・ビートそっくりの面白いおじさんで、お客さんと一緒に音楽に合わせて踊りを披露してくれた。
美味しい料理に美味しいワインは充実した1日を締めくくった。

 


 
 
3月13日(木)

バレッタ・ボート・フィッシングビレッジ・マルタ・エアポート

とうとうマルタの休暇も最終日となった。
今日1日は来た時と同じく、えげつなく長ぁーい1日となる。
ここに格安パッケージツアーがどーしてこんなに安いんだぁ?の答えが用意されている。

来る時は午後11時のフライトで、これは我慢が出来るが、帰りのフライトというのが、午前2時とか3時とか4時とかといった人々が行動しにくい時間帯となっている。
しかもホテルのチェックアウトは通常午後の12時である。
ホテルをチェックアウトしてこの午前2時、3時あたりまでの13時間以上もの間どこでどう過ごけばいいのかが、こういう格安パッケージを選ぶ際には考慮に入れておかねばならない事項となる。
以前スペインで体験した時には、やはりホテルのチェックアウトは午後12時、しかし、その季節は海で泳ぐことが可能だったし、最後の最後まで泳ぎたい人たちのためにエアーツアーズは、セルフケイタリングの部屋を1つシャワーそして着替えのために確保しておいてくれた。
数多くの帰りを待つツアー客がいるので、その部屋ではシャワーと着替えをするだけではあるが、充分海辺で寝転がって時間潰しをしてから、部屋でシャワーと浴びて、着替えてpubなどへ繰り出したり、食事をしたりして帰りのお迎えバスが到着するまで、疲れながらも待つことは出来た。
今回は海辺で寝転がるには、少々肌寒い。
しかも今回はどっさりとお年寄りをかかえている訳だ。
倹約家のお年寄りにとってはこのエアポートまでの時間は強烈に長い。
しかし今回のホテルでは、自分の泊まった部屋が何時までkeep可能かどうかかけあうことは出来るようになっていた。
私達の部屋は午後の6時までkeep可能とのことで、時間延長として1時間単位で追加料金を払ってkeepした。
まぁ、6時のチェックアウトであれば、お迎えの午前1時のバスがやってくるまで7時間である。
最後の夕食は5時からとのことだったが、何も不味い夕飯を5時に食べる必要はない。
外に出て好きな時間に食べればいいのだから・・・
二人の計画は朝早く起きて、残りの見所を見学して昼過ぎに戻って、たっぷりと昼寝をして、シャワーを浴びて帰り支度をして、6時にチェックアウト。
その後はなるだけ時間をかけながら、ぶらぶらとブジッバへと夕食を食べに行く。そして9時から始まる
映画を見て11時すぎにアウラにこれまたのんびり歩いて戻って、pubで飲んで1時まで待つというものだった。

朝の昼食を抜いた二人はバスターミナルヘ向かい、ヴァレッタへと向かった。
ヴァレッタのカフェーでブレックファーストを済ませ、風向明媚な観光名所の1つであるブルー・グロットへのバスに乗り込んだ。
かなりの観光客で埋め尽くされたバスだった。

このブルー・グロットでの停留所から1つ手前でハガール・キム神殿というこれまた観光名所が用意されている。
観光客はこの2手に分かれた。
私達はもう神殿や宮殿はもういいってことで、ブルー・グロットの方へ駒を進めた。
停留所を降りて崖っぷちらしきものを求めて、下がっていくのだがどうもあの写真のような光景はどこにも見当たらない。
 

観光客は戸惑いながらどこやどこや?と、私達同様に探している様子だったが、どうやら、あの素晴らしい洞窟を見るためにはボートに乗らなければ見れないようだ。
案の定みんながボート乗り場へと降りていくので、二人も後に続いて降りていき、色とりどりの漁師のボートが並んでいるチケット売り場に出てきた。

ボートは9名乗りで漁師のおじさんの案内で動力ボートは出発した。
この発着場を離れ、ボートはその岸壁沿いに自然に作られた目を見張るような洞窟6つに向かって進んでいく。
驚くほど澄んで青い海だった。
洞窟には1つ1つ名前が付いているようだった。
ああ、これがぁ!っで目の前に広がった象の鼻のような岩の芸術。
これがブルー・グロットだった。
ポスターやガイドブックや絵葉書などは空から写してあるのでうまく写真にその姿を捉えることが出来たのだが、崖の上から眺めてもこのような美しい写真は撮れないだろう。
その象の鼻の洞窟をボートに乗ってくぐりながら、下からの写真を収めた。
ボートの洞窟探検は約30分ほどのものだった。

これからすたこらさっさとバスの停留所まで登って、マルタ最後の観光、マルサシュロックへ向かうかどうかあれこれ悩んでいた。
前述したように島の端から又別の端まで行こうとするとヴァレッタまで戻って乗り換えなければいけないのである。
このブルー・グロットからマルサ・シュロックまでは海岸沿いでダイレクトで進めばバスで20分〜30分?
あたりで行けそうな距離であるのに・・・・
何しろ昼過ぎ遅くても2時あたりまではホテルに戻って昼寝をしたい。だが、折角の旅である。

マルサシュロックはマルタの典型的な漁港でここでは魚市が開かれ(これは日曜日だが)レストランやカフェでは新鮮な獲れたてのシーフードが安くて上手いとのこと。
シーフードの美味いとこと聞けばhirokoは我慢が出来ないのである。
せっかくだから、行こう!とクリスが言う。
バスは一応30分毎に運行していると書いてはあるが、何しろこんな田舎である。
時刻表なんぞもない停留所でひたすらバスがやってくるのを待つが、なかなかやってはこない。
おおよそ45分は待っただろうか、ようやくバスが姿を見せた時には膨れ上がった観光客の間から拍手が起こった。
ヴァレッタに戻ったが、マルサシュロック行きのバスがまたなかなか来ない。
ああ、どうして最後の最後の日になってこういうことになるんやろ?
もっとたっぷり時間はあったのに・・・とちょっぴり後悔の念が走る。
やっとこバスに乗り込んだ。

もう2時を過ぎている。
マルサシュロックに到着したら帰りのバスの時間をしっかりとチェックしないといけなかったが、マルサシュロックからアウラまでは数少ない直通バスが通っているので、助かった。
3時にマルサシュロックに到着したが、アウラに戻るバスは3時半、これに乗り込んでも帰りは4時半だ。
シャワーを浴びて帰り支度に間に合うギリギリだ。
もしチェックアウトが7時8時まで延長出来たのであればこの漁港で最後のシーフード料理を堪能出来たのに!
全く悔しい思いだった。
朝の選択が不味かったね。最初にこっちにくればよかったね。
と、ぼやきながら、たった30分のの残り時間、シーフードレストランをうらめしい思いで見つめながら、マルサシュロックの色とりどりの漁師の船を眺め、青空市場で最後のお土産を買っていた。
この村はもっと時間をかけてノンビリと過ごしたいところであった。
今度もし、またマルタに来たら、真っ先にここだね。
引退してじじいとばばぁになったら、是非ともこのマルサシュロックでのんびりしたいなぁ。
そんなところだった。

アウラ行きのバスに乗り込んでひたすら長い最後のバスの旅を味わっていた。
ホテルに戻るとロビーでは早くも部屋から追い出された御老人の集会場所と化していた。
二人はそそくさ部屋に戻って、シャワーを浴び、洗った髪を乾かして、帰り支度に急いだ。
午後6時、1週間お世話になった部屋と別れを告げてロビーに鍵を返し、荷物保管所にスーツケースを放り込んで再び、夕刻のお散歩へと繰り出した。

ブジッバの海岸を降りて、マルタ最後の夕日を眺めた。
マルサシュロックで昼食を、などという計画がおじゃんになったので、二人は腹ペコだった。
腹が減ったら、何と言ってもカレーが食べたくなる。
どこの国に行っても必ずカレーを食べている。
ブジッバのインド料理店でいつもながらのチキン・コーマを注文する。
マルタのチキンはチキンだった。
どういう風にチキンかというと、日本で味わうチキンと同じなのだ。
UKでチキンを食べたことのある方ならお判りだと思うが、UKのチキンは驚くほど柔らかく、チキン特有の匂いが無い。
特に胸肉はそうである。
きっと肥料が違うのだろう。
久しぶりに歯の間に肉が挟まる本来のチキンの歯ごたえに、ああ、日本のチキンやぁ。などと感動していた。
カレーを食べると満足感に満たされる。
出来るだけ時間をかけてカレーを平らげたあと、店を出て映画館に向かった。
9時から始まる「ショコラ」のチケットを買い、眠さを抑えて映画にのめり込んだ。
主演女優はフレンチのジュリエット・ビノッシュ、助演女優にはイングリッシュのジュディー・デンチだ。
二人ともオスカーのノミネートされている話題作でもある。
おまけに男優はジョニー・ディップときているからたまんない。
まぁ、この選択は大正解だった。
カレーで膨れ上がった胃袋の後に、あの「ハンニバル」なんぞを見たら、必ず気分が悪くなって吐くに決まっている。
カレーの後はチョコレートだ。

カレーを食べて、映画も見て、とうとう最後のマルタとなった。
午後1時、エアポートへと私達を運ぶ大型バスが現れた。
 
 


3月14日(金)

マンチェスター・・・アバディーン

バスの中の各々の顔は帰国するという安堵感と待ちくたびれた疲労感が入り交じっていた。
午前2時、静かなエアポートに到着し、それぞれの荷物を運び出し、チェック・インを済ませる。
フライトは4時である。
まだまだ時間がある。
それほど広いエアポートでもないし、24時間エアポートとは言えども殆どのお店は閉っている。
免税店の一部も閉っているし、喫茶関係も中央部にたった1つOPENしているだけだった。
免税店でブラブラして、そのあとは喫茶コーナーで目覚しのコーヒーでひたすら搭乗を待つ。
その間、何か我々の搭乗口の隣が賑わしくなってきた。
リビア行きのフライトが大幅に遅れているようだ。
数多くのリビア人が搭乗待ち合いロビーでやたらうるさい。
そのうち、税官員ろ何か揉め事を起こしたようで、何人かのリビア人をマルタの係員に取り囲まれて口論となっていた。
そのうち警察がやってきて、隣の搭乗口で待機しているブリティッシュのツアリストを全員反対側の搭乗待ち合いロビーへと移動させた。
私達の搭乗ゲートが変更された。
これらのリビア人が他所の観光客を怪我させないようにの配慮だろう。
「一体全体何事が起こったのか?」と心配だった。
何せ、あのロカビー事件では、リビア人がマルタからの飛行機に爆弾をしかけて、スコットランドのロカビーという街の上空で爆発させたのだから・・・・
しかし、そんな恐ろしいことを考えていたら、やたら飛行機には乗れなくなってくる。
ガヤガヤともつれ合いは続いていたが、私達は待ちくたびれている身であり、このヒトコマを野次馬根性で見守るのはちょうど時間潰しにはもってこいだった。
幸い、何事もなく、これらの騒動は治まって、リビア人達を乗せた飛行機が飛び立った。

眠けがピークに達した午前4時。
私達を載せたホリデイ・チャーター機はまだ暗いマルタの国を後にした。
マンチェスターへの到着は7時半。
現時点で約24時間、起きていることになる。
行きはウキウキしているから、どんな長旅でも我慢できるが、一端帰るとなったら、一刻でも早く我家に戻って「ああ、やれやれ」と足を伸ばしたいところである。
ここはまだマンチェスターで、アバディーンまでは遠い。
20〜22℃前後だったマルタからマンチェスターに戻ってくると、そこは真冬であった。
強烈に冷たい風が体中に吹き付けてくる。
マンチェスター駅でしばし休憩して、ブラックプール行きの列車に乗り込み、プレストンで乗り換えた。
プレストンからエジンバラまではヴァージントレインだったが、エジンバラからはスコットレイルに乗り換えてアバディーンへ戻る。
このヴァージンが大幅に遅れて入ってきたので、エジンバラでの時刻がキャッチできるか微妙なところだった。
車掌さんに聞くと、エジンバラで降りずに、1つ手前のヘイマケットで降りて乗り換えた方が無難だよ。とのアドバイスを受けた。

ようやく列車はエジンバラはヘイマーケットに到着した。
ああ、やれやれ、スコットランドに戻ってこれたぞぉー!である。
ところが、エジンバラを出発したスコットレイルが構内に入ってきたがどこもかしこも超満員。
あれぇ?今日は何曜日だっけ?・・・・金曜日。しかも夕刻だ。
僕たちの座席はブッキングしてあるんだから、心配ないさ!とクリス君は涼しい顔をして言うのだが、超満員の列車には荷物を置くスペースすらない。
通路はおろか入り口まで人がぎっしり詰まっている。
げげげっ!こんな状態でアバディーンまで、身体がもたんぞ!
重たいスーツケースがこんな時にはマジで邪魔になる。
しかしこの列車を見送ったとしてもお次の列車だって、座れるという保証などない。
ましてや、私達のチケットは座席もブッキングされているのだから・・・この列車を見逃す訳にはいかない!と二人はスーツケースをとにかく乗り込ませ、身体をよじるようにして中に入った。
早速私達の座席を探し当てた。依然としてスーツケースは入り口通路のど真ん中に置きっぱなしにしてである。
案の上、私達の座席にはカップルが涼しげな顔をして座っていた。
いつもなら、控え目なクリス君もさすがにこの状態と疲れが混ざって気が立っている。
あくまでもこの席は僕らの席だと主張するが、せっかく座ってのんびりしているところへ途中の駅から乗ってきてこれはおいらの席だ!と言われればカチンとくるだろう。
青年はブッキングのシートなんかどこにもはさまっていないじゃないか!と主張する。
げっ!スコットレイルの新しい車両にはブッキングのカードを挟むところがない!
何てこっちゃ!である。
1ケ月も前から席は予約してあったのだ。
クリス君はブッキングのナンバーが書かれた予定表とチケットを青年に見せると、彼は納得し座席を明け渡してくれた。
それにしてもお粗末なスコットレイルである。
新しい車両は確かに気持ちがいいものだが、スーツケースなど大きな荷物を入れ込む荷物置き場がない。
それに座席の配置なども空いている時のことしか考えて設計されていないようだ。
無駄な空間が多すぎる。
通路そして入り口と人々がひしめきあって立っている状態の中、ワゴンサービスが通るなどというド馬鹿な放送が入ったりする。
どうやって通るのさ!
エジンバラ〜アバディーン間は混む路線である。特に金曜日の夕刻なんぞはとんでもない。
今後、金曜の夕刻にこの路線を使用する時には充分注意しないといけないなぁ。と思っていた。
だが、この込み具合もダンディーまである。
ふと気が付くと我らのスーツケースは誰もいない入り口の通路のど真ん中で馬鹿みたいに立ちすくんでいた。
ようやくワゴン・サービスが廻って来たので、邪魔にならない場所へと移動させた。

アラスカだねぇ。
アバディーン到着後の第一声だった。
そそくさと疲れた体にムチを打ちながら、タクシーを飛ばして1週間ぶりの我家に戻ってきた。
時計は7時を廻っていた。
36時間ぶりにベッドの上に大の字になって横になった。
 
 



 

エピローグ

マルタの3月中旬はスコットランドの夏と似たような気温だった。
安いパッケージ・ツアーなのであるからして、食事やフライト時間の文句は言ってもしょうがない。
しかし、マルタの1週間はかなり充実したものだった。
シチリアにも渡り、GOZO島も巡った。映画も2本みたし、シーフードも美味しかったし、生まれて初めて「うさぎ」ちゃんも食べた。

帰ってきて、お隣のパットさんに出会った。
彼女の両親はマルタに住んでいて、パットとリチャードは毎年マルタへ休暇に飛んでいく。
「あそこには行った?ここには行ってきた?あれは食べた?これは食べた?」との矢継ぎ早の質問責めに遭う。
パット自身もマルタで生まれたのだそうだ。
マルタのの何処?って訪ねると「マルサシュロックよ!」と答えが帰ってきた。
ああ、そこ、30分しか見れなかったのよぉー!これだけが心残りだった所やん!と、悔しげに話した。

マルタは小さな国だから、1週間あればかなりいろんなところを見て廻れ、丁度いい期間だったように思う。
2週間だと多分、飽きちゃうだろう。
だけど、将来また行きたいところだ。
本当のじじいとばばぁになった時、本当のコクーンとなって・・・・・